女性城主が君臨した霧の山城
岩村城いわむらじょう
場所 岐阜県恵那市岩村町城山
旧国郡名 美濃国 恵那郡
別名 霧ヶ城
種別 山城
築城時期 1221年(承久3年)
築城背景 鎌倉時代、当地の地頭に任じられた加藤景廉が築城。
名城 日本100名城  私の500名城
主な城主 遠山景任おつやの方河尻秀隆、団忠正、森忠政、田丸直昌、松平家乗
天守 天守替わりの大手門横の三階櫓
主な遺構 石垣、井戸
主な再建物 櫓、門
交通 明知鉄道 岩村駅 徒歩約30分
駐車場 出丸跡の無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜登る5分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登5分

岩村城遠景

本丸搦手の虎口。
埋門(うずみもん)と呼ばれる城門跡

岩村城の六段壁(本丸の石垣)

霧ヶ井(蛇骨を投げ入れると霧が出て、
城を隠してくれたといわれる)

再建太鼓櫓(麓の藩邸)
noimage
構成 美濃国東部の山間部、標高717mの峻険に築かれた山城で、日本三大山城のひとつ。
東美濃の山城らしく、いたる所に石垣が使用されている。

本丸は山頂部に置かれ、二重櫓と納戸櫓が建てられた。本丸の北東側は六段壁と呼ばれる六段積みの石垣となっていた。

本丸の東には東曲輪、本丸の北に二の丸、東曲輪の北に三の丸を配した、梯郭式の縄張りだった。
これら主郭部の北にも八幡曲輪、南西には出丸があった。

本丸の2つの櫓も合わせ、要所要所に11の櫓が建てられていた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 城跡として保存されており、石垣をふんだんに使用した山城を堪能できる。
石垣や曲輪以外にも、敵に攻められた際、蛇骨を投げ入れると霧が出て城を隠してくれたといわれる霧ヶ井と呼ばれる井戸などが残っている。

出丸の駐車場からだと苦労なく見学ができる。

麓の岩村藩邸跡には、歴史資料館や民族資料館、藩邸にあったの表御門や太鼓櫓が再建されている。
略歴
1221年 加藤景廉が築城
加藤氏はその後、地名を姓とし遠山氏を名乗る
(中略)
1570年 美濃国東部へ侵出してきた武田信玄に攻められるが守りきる
1571年 城主遠山景任が病死
妻で織田家から嫁いできていたおつやの方が、女性城主に
1572年 武田信玄上洛戦では、美濃方面を担当した秋山信友に攻められ、おつやの方との婚姻などを条件に降伏開城
秋山信友が入城し、武田家の支配下に
1575年 長篠の戦で武田軍が大敗したため孤立
織田信忠河尻秀隆らに攻められ降伏、開城
城主、おつやの方秋山信友は処刑される
その後、織田家重臣、河尻秀隆が城主に
1582年 天目山の戦で武田家が滅亡
その戦功により河尻秀隆甲斐国へ加増の上、転封(22万石)
団忠正が城主に。(5万石)
本能寺の変で、団忠正が戦死
森長可が城を接収
1584年 小牧・長久手の戦森長可が戦死
弟の森忠政が家督を相続し金山城主となり、その重臣、各務元正が城代に
1600年 森忠政が信濃国川中島へ加増の上、転封(17万5千石)
替わって田丸直昌が城主に。(4万石)
関ヶ原の戦で、西軍についた田丸直昌が改易される
松平家乗(大給松平家)が城主に。(2万石)
(後略)