伊達政宗が12年間居城とした
岩出山城いわいでやまじょう
場所 宮城県大崎市城山49付近
旧国郡名 陸奥国陸前 玉造郡
別名 臥牛城、岩出沢城、岩出山要
種別 平山城
築城時期 1400年頃(応永年間)
築城背景 大崎家の家臣、氏家詮継が居城とすべく築城し岩手沢城と名付ける
名城 私の500名城
主な城主 氏家家、木村家、伊達政宗、伊達宗泰
天守 なし
主な遺構 土塁、空堀、堀切、石垣
主な再建物  
交通 奥の細道湯けむりライン 有備館駅 徒歩約15分
駐車場 本丸の有料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜徒歩1分〜伊達政宗像
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩1分

西の腰曲輪の伊達政宗像

深い堀切

本丸と西の腰曲輪の間の虎口
(内門跡)

城跡から望む岩出山市街
構成 陸奥国陸前、江合川の支流、蛭沢川の左岸にある108mの山(城山)を利用して築かれた平山城。

山頂部の本丸とその西側段下の二ノ丸により主郭が構成され、その西には空堀をはさんで広大な八幡平と呼ばれる曲輪を配した。

主郭の南側のさらに段下には、城主の居住区が広がっていた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 城山公園として整備されており、深い堀切や土塁などの遺構が残されている。
本丸に駐車スペースがあり、西の腰曲輪には12年間城主を務めた伊達政宗の像がある。

城主の居住区は岩出山城高校となっている。
略歴
1400年頃 氏家詮継が築城し岩手沢城と名付ける。
(中略)
1590年 奥州仕置により、大崎家、氏家家が滅亡。豊臣秀吉の家臣、木村父子が城主に。
葛西・大崎一揆が起こり、木村父子が失脚。
1591年 葛西・大崎一揆の主犯と疑われ、米沢など約150万石から陸奥国陸前玉造郡など58万石に減封となった伊達政宗が城主に
岩出山城と改名。
1600年 関ヶ原の戦
1601年 伊達政宗仙台城(青葉城)を居城とすべく築城。
これにより、四男の伊達宗泰の居城に。
1615年 一国一城令により、岩出山要害と改称。それ以降、岩出山伊達家の居城に。