大仏ヶ鼻城の異名もある南部家津軽経営の拠点
石川城いしかわじょう
場所 青森県弘前市石川大仏下1-2付近
旧国郡名 陸奥国陸奥 津軽郡
別名 大仏ヶ鼻城、大渕ヶ鼻城、石川館、石川楯、岩館
種別 平山城
築城時期 1334年?(建武元年)
築城背景 不明
名城  
主な城主 曽我家、石川高信、大浦家
天守 なし
主な遺構 階段状平場、土塁
主な再建物  
交通 弘南鉄道線大鰐線 石川駅 徒歩約5分
駐車場 専用の無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜登2分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登2分

階段状平場

東を流れる平川

曲輪

りんご畑と岩木山 
構成 陸奥国陸奥、津軽平野南部の台地に築かれた平山城。

東に平川が流れ、その扇状地の喉元にあたる最高所に石川館を、そこから北西へ向かう小さな丘陵上に岡館、猿楽館、月館、坊館、八幡館、寺館、高田館、茂兵衛殿館、寺山館、孫兵衛館、小山館、新館の計13の郭を一列に並べ、総称として石川十三楯と呼ばれた。

石川館の本郭は三段ほどの階段状の曲輪から構成され、段下に二の郭を、北側に広大な三の丸を配した。
縄張図
または
現地
案内図
現状 大仏公園となっており、33の観音仏が祀られている。(三十三観音)

遺構として、階段状平場や土塁が残されている程度。

石川館以外の十二楯は、リンゴ畑や宅地になっている。
略歴
1334年? 築城(詳細不明)
(中略)
1524年 南部家の攻勢を受け、その支配下に
1533年 南部安信の弟、田子高信が城主となり、石川氏を名乗る
1541年 南部安信が死没、南部晴政が南部家当主に
1568年 石川高信、本家の南部晴政九戸政実とともに安東愛季を攻め、鹿角郡を奪回。南部家は最盛期を迎える
1571年 石川高信大浦(津軽)為信の奇襲を受け自害(大仏ヶ鼻城の戦)
  津軽家家臣、板垣将兼が守将に
1588年 大浦(津軽)為信が津軽地方を平定
1590年 大浦(津軽)為信、津軽氏を名乗る
1600年 関ヶ原の戦の際、津軽為信は東軍について出陣
1603年 津軽為信、新たな居城とすべく弘前城の築城を開始
1608年 津軽為信が死没
  津軽騒動(後継ぎ争い)
1609年 津軽信牧の家督が認められる(第二代藩主)
1611年 弘前城が完成し、津軽家の居城に。これにより廃城