坂上田村麻呂の古代城柵
胆沢城いさわじょう・いさわのき
場所 岩手県奥州市水沢区佐倉河字渋田3付近
旧国郡名 陸奥国陸中 胆沢郡
別名 胆沢柵
種別 平城
築城時期 802年(延暦21年)
築城背景 征夷大将軍の坂上田村麻呂が蝦夷に対する前線基地として築城し、その後多賀城から鎮守府を移した
名城  
主な城主  
天守 なし
主な遺構 曲輪
主な再建物  
交通 JR東北新幹線 金ヶ崎駅 徒歩約40分
駐車場 城域そばに駐車スペース
徒歩・登山 駐車スペース〜すぐ〜城域
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩0分

胆沢城政庁跡

政庁跡想像図(現地案内板より)
構成 陸奥国陸中南部、北上川と胆沢川の合流地点の平地に築かれた古代柵で、築城されるとそれまで多賀城にあった鎮守府が、当地に移された。

城域は1辺約670mの方形で、周囲には3〜5m幅の堀と高さ3.9mの築地塀を廻らせていた。

1辺90mの方形の政庁も外壁に囲まれており、内部には儀式を行った正殿をはじめいくつかの建物があった。

その外には物資や食料の管理を行った官衙(かんが)や厨(くりや)などが建てられた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 田畑や空き地となっているが、政庁跡などの場所がわかるように案内板が建てられている。

昭和29年から発掘調査が始められ、木簡や文字が記された土器のほか、具注暦や城に勤務した兵士についての漆紙文書などが発見されている。
略歴
802年 坂上田村麻呂が築城
???年 多賀城から鎮守府を移す
950年頃 機能を失う