女領主、直虎の居た遠江の山城
井伊谷城いいのやじょう
場所 静岡県浜松市北区引佐町井伊谷248付近(登城口)
旧国郡名 遠江国 敷知郡
別名 井伊城
種別 山城
築城時期 1032年頃(長元5年)
築城背景 遠江国国司家から出た藤原共保が築城し、井伊氏を名乗った
名城  
主な城主 井伊共保、井伊道政、井伊直盛、井伊直虎井伊直政
天守 なし
主な遺構 土塁
主な再建物  
交通 遠州鉄道 天竜浜名湖線 金指駅 徒歩約40分
駐車場 なし
徒歩・登山 引佐協働センター〜登15分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登15分

大手口の虎口

搦手口の虎口

土塁

詰城の三岳城
構成 遠江国西部、浜名湖の北東の井伊谷を見下ろす標高114mの山に築かれた山城。

浜名湖に注ぐ都田川の支流、井伊谷川が北から東へ流れる立地。

山頂部を平削し、周囲を土塁で囲んだ本丸のみの単郭式の縄張り。

南東麓には平時の居館が置かれたほか、北東に詰の城である三岳城があった。
縄張図
または
現地
案内図
現状 城址公園となっており、整備されている。

南麓にある井伊家菩提寺、龍潭寺や二宮神社付近からの登城が一般的で、車の場合は引佐協働センターの駐車場が便利。

北にある八柱神社そばに搦め手口の登城口があり、そこからだと数分の登城で本丸に着くが車を停めておくことは難しい。

遺構としては土塁や虎口がわずかに残るだけ。本丸からは詰城の三岳城も望める。

南東麓の居館跡には、説明版が残る。
略歴
1032年頃 藤原共保が築城し、井伊氏を名乗る
  (中略)
1337年 城主、井伊直政、南朝の後醍醐天皇の皇子、宗良親王を詰の城、三岳城に迎える 
1340年 北朝方の高師泰や仁木義長に攻められ、三岳城とともに落城 
1352年 今川範氏が遠江守護を兼務
  その後、井伊家は今川家の支配下に
  (中略)
1560年 今川義元の上洛戦に従軍した井伊直盛が、桶狭間の戦で討死に
直盛は男子がなかったため、従弟の井伊直親が井伊家の家督を相続
1563年 直親の相続を良しとしない家老、小野道好の讒言により、井伊直親が今川氏真の命にを受けた朝比奈泰朝により誅殺される
1565年 直盛の娘が家督を相続し、井伊直虎と名乗る
1568年 小野道好に井伊谷城を奪われる
これに反発した井伊谷三人衆(近藤康用・鈴木重時・菅沼忠久)に、浜松城(旧引馬城)主となっていた徳川家康が加担、井伊直虎は城を奪還
1569年 井伊直虎徳川家康に懇願し、直親の仇である小野道好を処刑
1572年 武田信玄の上洛戦が始まると、井伊直虎は城を武田家臣、山県昌景に明け渡し、徳川家康浜松城へ逃亡
1575年 井伊直虎、養子としていた直親の嫡男、井伊直政に井伊家を継がせ、徳川家康に仕えさせる
1582年 井伊直虎が死没
1590年 井伊直政上野国へ転封となり箕輪城主に(12万石)
これにより廃城(推定)