留守政景が城主となった歴史ある城砦
一関城いちのせきじょう
場所 岩手県一関市釣山1-76付近
旧国郡名 陸奥国陸中 磐井郡
別名 高崎城
種別 平山城
築城時期 1590年頃(天正末期)(異説有り)
築城背景 葛西家の家臣、小野寺道照が、古くから砦として利用されていた篠見山を利用して築いた
名城  
主な城主 小野寺道照、留守政景、伊達宗勝、田村家
天守  
主な遺構 烽火台、庭園、移築門(毛通寺)
主な再建物  
交通 JR東北本線 一関駅 徒歩約13分
駐車場 釣山公園の無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜登5分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登5分

千畳敷(本丸)

烽火台

二の郭の藩主(田村家)井戸

千畳敷から見下ろす一関市街 
構成 陸奥国陸中の南端、一関にある釣山(高崎山)に築かれた平山城。

山頂部の本丸は千畳敷とも呼ばれ、北側の段下に二の郭、三の郭が階段状に配し高切岸で防御した。

本丸には砦時代から使われたと推定される烽火台があった。

江戸時代に藩主となった田村家は北麓に居館を築いて移ったが、山中には山王社、稲荷社、松樹堂などを勧請した。
縄張図
または
現地
案内図
現状 釣山公園として整備されており、本丸には烽火台が、二の郭には井戸跡が残されている。

また田村社と稲荷社(おさん稲荷)が残りる。

毛通寺に門が移築されている。
略歴
●釣山砦 
806年頃 征夷大将軍、坂上田村麻呂が陣地として利用
1053年頃 安倍貞任の弟、磐井五郎が砦として利用
1065年頃 源頼義、義家(八幡太郎)父子が陣地として利用
(中略)
●一関城 
1590年頃 葛西家家臣、小野寺道照が築城
  奥州仕置により葛西家が滅亡
1604年 伊達家家臣、留守政景が城主に(2万石)
1607年 留守政景が死没。子の留守宗利が城主に
1616年 留守宗利、大坂夏の陣に少人数で参陣したことを咎められ1万石に減封、金ヶ崎城主に
  (中略)
1660年 一関藩が仙台藩から分藩、伊達政宗の十男、伊達宗勝が城主に(初代一関藩・3万石)
1671年 伊達騒動が起こり、 伊達宗勝が失脚
1681年 田村建顕(宗永)が城主に
  (後略)