越前の小京都、朝倉家繁栄の谷
一乗谷館いちじょうだにやかた
場所 福井県福井市城戸ノ内町28
旧国郡名 越前国 足羽郡
別名 朝倉館
種別 平城
築城時期 1471年(文明3年)
築城背景 越前国守護、朝倉敏景が守護所として構築。
名城 日本100名城  私の500名城
主な城主 朝倉敏景、朝倉氏景、朝倉貞景、朝倉孝景、朝倉義景
天守 なし
主な遺構 唐門、土塁、堀
主な再建物 武家屋敷
交通 JR九頭竜線 一乗谷駅 徒歩約25分
駐車場 城域内の無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜徒歩3分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩3分

朝倉義景館の土塁と堀と唐門(西門)

発掘された、広大な朝倉義景館跡

下城戸から見た一乗谷川と城域
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構成 越前国のほぼ中央部に位置し、足羽川の支流、一乗谷川に沿った谷1.7kmに渡って城域とし、谷の隘路部2ヶ所に設けた上下の城戸で守っていた、越前国守護朝倉家の、壮大な城構えである。

本丸とも言うべき城主の屋敷は背後の山(一乗山城)や周囲の堀、土塁、隅櫓などで囲まれ、北、東、西に門を開き、敷地内には10数棟の建物が立ち並んでいた。

その他、朝倉一族や家臣の屋敷、寺院、町屋などが一乗谷川に沿って並び、多くの庭園も造られるなど繁栄振りは目覚しく、越前の小京都とも称されていた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 朝倉家当主の館跡を含め、城域全体が遺跡として発掘、保存されている。
館跡の正門(西門)である唐門は、江戸時代に再建されたまま残っている。
また、館跡内には朝倉義景の墓所もある。

城外ではあるが、第15代室町将軍、足利義昭(義秋)を迎えて御所としていた安養寺跡もある。
略歴
1471年 越前国守護、朝倉敏景が構築
(中略)
1567年 当主朝倉義景、三好勢に追われた足利義昭(義秋)を迎え入れ、安養寺を御所とする
1568年 足利義昭(義秋)織田信長を頼ることになり、越前国を出る
1570年 越前国織田信長に攻められるが、北近江浅井長政の救援で事なきを得る。(金ヶ崎の退き口
姉川の戦で、朝倉・浅井連合軍が織田・徳川連合軍に敗北
1573年 浅井家救援に赴いた朝倉義景が、刀禰坂で織田勢に大敗
その後、一門衆筆頭の朝倉景鏡の裏切りにより、追い詰められ、朝倉義景が自害し朝倉家は滅亡。(一乗谷攻め
織田家に下った、元朝倉家家臣の桂田長俊(前波吉継)が、越前国の代官として入城
1575年 朝倉家の旧臣、富田長繁らの煽動による一揆が勃発し、桂田長俊(前波吉継)が戦死
その後一揆を織田信長が平定。越前国柴田勝家に与えられ、北ノ庄城が築城され勝家の居城となったために、自然廃城