中川氏や片桐氏が城主を務めた
茨木城いばらきじょう
場所 大阪府茨木市片桐町8
旧国郡名 摂津国 島下郡
別名  
種別 平城
築城時期 1334年頃(建武元年頃)
築城背景 楠正成が築城(異説あり)
名城  
主な城主 茨木長隆、茨木重朝、中川清秀、中川秀政、片桐且元(または弟の片桐貞隆)
天守 不明
主な遺構 移築門(茨木神社)
主な再建物 復元門
交通 阪急京都線 茨木市駅 徒歩約10分
駐車場 なし
徒歩・登山 茨木市駅〜徒歩10分〜本丸跡
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
駅10分

模擬城門

本丸跡の茨木小学校
構成 摂津国の北東部、高槻の約1里南西にある茨木の町、安威川の右岸に築かれた平城。

縄張りは
本丸から北に3つほどの曲輪を並べて内堀で隔てた主郭部。それを取り囲む外堀などから構成されていた。
天守台は存在したが、天守が築かれたという記録が残っておらず詳細は不明。
縄張図
または
現地
案内図
noimage
現状 本丸は池田小学校となっており遺構は見当たらないが、櫓門が復元されている。また茨木神社に搦手門が移築されて残っている。
略歴
1334年頃 楠正成が築城
(中略)
1538年 城主、茨木長隆、摂津国守護代に
1549年 城主、茨木長隆、江口の戦で戦死(推定)
その後、茨木重朝が城主に
1568年 茨木重朝、上洛してきた織田信長に臣従(信長の上洛戦
1571年 城主、茨木重朝、池田知正や荒木村重らに攻められ討ち死に、落城(白井河原の戦)
荒木村重の家臣中川清秀、城を大改修
1577年 中川清秀、城主に
1578年 主君荒木村重織田信長に謀反を起こすと、中川清秀もそれに従う
中川清秀荒木村重を見限り織田信長に降伏
1579年 荒木村重、単身で有岡城を抜け出し尼崎城(大物城)に入り、自ら毛利の援軍を迎えに行く決意をするが城を囲まれ脱出できなくなり不首尾に終わる
当主のいなくなった有岡城は混乱し、敵の入城を手引きする裏切り者が現れ有岡城が落城
1582年 本能寺の変
1583年 賤ヶ岳の戦で、中川清秀が戦死
子の中川秀政が城主に
1586年 中川秀政、播磨国三木へ転封(6万5千石)
茨木城は豊臣秀吉の直轄に
1601年 片桐且元(または弟の片桐貞隆)が城主に
1614年 方広寺鐘銘事件
1615年 片桐且元、病死
1616年 一国一城令により廃城