関東管領となった山内上杉家の拠点
平井城ひらいじょう
場所 群馬県藤岡市西平井239-6
旧国郡名 上野国 緑野郡
別名  
種別 平山城
築城時期 1438年(永享元年頃)
築城背景 鎌倉から退去し領国へ戻った関東管領、上杉憲実が、家臣の長尾忠房に築城させ居城に
名城  
主な城主 上杉憲実、上杉顕定上杉憲政
天守 なし
主な遺構 空堀
主な再建物 復元土塁
交通 JR八高線 群馬藤岡駅 約8km
駐車場 あり
徒歩・登山 駐車場〜すぐ〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩1分

本丸跡の復元土塁

本丸跡の復元土塁
構成 上野国のほぼ中央、利根川の支流、鮎川が作った段丘に築かれた平山城。

城域は南から北へ下る斜面となっており、鮎川を眼下に見下ろす崖の上に土塁と空堀を巡らせた本丸を置き、その西側に二の丸を、二の丸の南に笹曲輪を配した縄張り。

そしてそれら主郭の北側、低い部分に三の丸を、さらにその北側には外郭(総曲輪)が広がっていた。

また南西約1.5kmの標高330mの金山には、詰の城である平井金山城が築かれた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 本丸は公園化されており、土塁が復元され、すぐそばに駐車場も整備されている。

二の丸は畑地、三の丸や総曲輪は市街化されており、遺構は残されていない。
略歴
1438年 関東管領、上杉憲実が鎌倉から退去し、家臣の長尾忠房に築城させ居城に
  (中略)
1467年 関東管領、上杉顕定が詰の城として平井金山城を築城
(中略)
1510年 上杉顕定、高梨政盛に攻められ自害
(中略)
1531年 上杉憲政が関東管領となり平井城主に
1546年 河越夜戦(扇谷上杉家滅亡)
1547年 上杉憲政武田晴信(信玄)に志賀城を攻められた笠原清繁に対し2千の救援を送るが敗北。(小田井原の戦)
1552年 上杉憲政北条氏康に攻められ越後国長尾景虎(上杉謙信)の元へ逃れる
1560年 廃城(推定)