関東管領上杉家の詰の山城
平井金山城ひらいかなやまじょう
場所 群馬県藤岡市下日野137付近(登城口)
旧国郡名 上野国 緑野郡
別名  
種別 山城
築城時期 1467年頃(応仁元年頃)
築城背景 関東管領、上杉顕定が居城、平井城の詰の城として築城
名城 私の500名城
主な城主 上杉顕定上杉憲政
天守 なし
主な遺構 土塁、堀切、石垣、井戸
主な再建物  
交通 JR八高線 群馬藤岡駅 約9km
駐車場 あり(麓)
徒歩・登山 駐車場〜20分登る〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登20分

南側から望む城址

本丸

井戸跡

南東側麓の曲輪の石垣
構成 上野国のほぼ中央、平井城の南西約1.5kmの標高330mの金山に築かれた山城。

山頂部の本丸から北へ向かう道が大手道であり、いくつかの曲輪が置かれた。

本丸から東に伸びる尾根には腰曲輪、物見台などが置かれ、さらに本丸から北西へ伸びる尾根の先端には堀切で隔てられ、井戸のある曲輪(井戸曲輪)が置かれた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 城跡として残されており、東南の物見台下か、南側の下日野集落側から登ることができる。

東南の物見台下から登りはじめてすぐの場所に、石垣造りの曲輪がいくつか見えてくるが、城館が建てられていたと推定される。

山上には本丸、腰曲輪、物見台などの曲輪のほか、井戸跡、湧き水の場所を知らせる清水刻字岩なども残されている。

北の大手側にも曲輪や櫓門や表城門などの遺構が残っており見学できるが、その先はゴルフ場となっている。
略歴
1467年頃 関東管領、上杉顕定平井城の詰の城として築城
(中略)
1510年 上杉顕定、高梨政盛に攻められ自害
(中略)
1531年 上杉憲政が関東管領となり平井城主に
1546年 河越夜戦(扇谷上杉家滅亡)
1547年 上杉憲政武田晴信(信玄)に志賀城を攻められた笠原清繁に対し2千の救援を送るが敗北。(小田井原の戦)
1552年 上杉憲政北条氏康に攻められ越後国長尾景虎(上杉謙信)の元へ逃れる
1560年 平井城とともに廃城(推定)