揚北衆、色部家の居城
平林城ひらばやしじょう
場所 新潟県村上市平林1701付近
旧国郡名 越後国 岩舟郡
別名 加護山城
種別 平城・山城
築城時期 不明(南北朝時代と推定される)
築城背景 揚北衆の色部家が、居城とすべく築城したと推定
名城 私の500名城
主な城主 平林家、色部家
天守 なし
主な遺構 土塁、空堀、堀
主な再建物  
交通 JR羽越本線 平林駅 徒歩約30分
駐車場 城そばの無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜徒歩3分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩3分

鍵型通路跡(堀)

殿堀跡にかかる木橋

岩館の土塁

遠景
構成 越後国北部を流れる荒川そばの、標高287mの要害山を利用した山城と、麓の平地の平館から構成される。

山城は要害山そばのいくつかのピークを平削して曲輪とし、平館は荒川の支流、滝矢川そばの台地に本丸、二の丸、三の丸などを置き土塁を掻き揚げ堀を巡らした。
縄張図
または
現地
案内図
現状 平館部は城跡として整備されており、土塁、空堀などの遺構が綺麗に残っている。
山城部には石垣や櫓台などが残っている。
略歴
1350年頃 南朝方の平林家により築城される
その後、北朝方で小泉庄色部条の地頭、色部家が平林家を攻め滅ぼし、居城に
(中略)
1508年 永正の大乱で、城主、色部昌長は守護の上杉房能につくが、守護代、長尾景為らに攻められ落城、長尾家に従い宿老に
1539年 城主、色部勝長、守護上杉定実の養子縁組問題がきっかけで、伊達稙宗や中条藤資に攻められるが守り切る
1569年 色部勝長が死没。子の色部顕長が城主に
1576年 色部顕長、病弱を理由に、弟の色部長実に家督を相続
1578年 上杉謙信死没。
御館の乱では上杉景勝につき勝利。
1581年 新発田重家の乱が起こると、色部長実はその対応を任せられる
1588年 色部長実、上杉景勝に従い上洛。豊臣秀吉から豊臣姓を与えられる
1590年 仙北一揆が起こると、色部長実は大谷吉継とともにその平定にあたる
1592年 城主、色部長実が死没。子の色部光長が城主に
1598年 上杉景勝の会津転封により、色部光長は出羽国羽前の金山城主に。
これにより廃城