島原半島南部を支配した有馬家の居城
日野江城ひのえじょう
場所 長崎県南島原市北有馬町戊2444付近(登城口)
旧国郡名 肥前国 高来郡
別名 日之江城、日ノ江城、火ノ江城、日ノ枝城
種別 平山城
築城時期 1213年頃(建保元年頃)
築城背景 藤原純友の子孫(異説有り)、藤原経澄が居城として築城、有間氏(のちに有馬氏)を名乗った
名城 私の500名城
主な城主 有馬貴純、有馬晴信
天守 不明
主な遺構 石垣、土塁、空堀
主な再建物  
交通 島原鉄道線 島原港駅 23km
駐車場 三の丸付近の無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜登3分〜天守
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登3分

南麓から望む日野江城

曲輪群

本丸の土塁

二の丸の石垣
構成 肥前国島原半島の南、島原湾に注ぎ込む有馬川河口近くの、標高78mの丘陵に築かれた平山城。

土塁で囲まれた本丸、東側段下の二の丸、本丸の西側の三の丸などを配した。
二の丸の東には大手川が南北に流れ、外堀として機能した。

東の二の丸は石垣造りとなっており、大手もこの二の丸にあって、大手道には100m以上の石造りの直線階段があった。

戦国武将、有馬晴信が城主の頃には、見事な庭園を伴った壮麗な館が建てられていた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 国の史跡として整備されており、本丸へは近くまで車で上がって行ける。
本丸の土塁や三の丸方面の階段状曲輪群などの遺構が残る。

二の丸から本丸へのルートは立入禁止となっており(2018年春現在)、東の大手側の方からのアクセスとなる。見事な石垣が残されている。
略歴
1213年頃 藤原経澄が居城として築城、有間氏(のちに有馬氏)を名乗る
(中略)
1490年頃? 城主、有馬貴純が、藤津郡、杵島郡を併呑するなど勢力が拡大
1496年 有馬貴純、支城、原城を築城
(中略)
1571年 有馬晴信が家督を継ぎ城主に
1580年 有馬晴信キリスト教に入信し、洗礼を受ける
有馬にセミナリオ(イエズス会の教育施設)を建設
有馬全土がキリシタンに
1582年 有馬晴信大友宗麟らとともに、天正遣欧使節を欧州に派遣
1584年 有馬晴信薩摩国島津義久と通じ龍造寺家に対抗、沖田畷の戦で勝利
1587年 豊臣秀吉九州攻めを受け降伏
豊臣秀吉、バテレン追放令を発令
1592年 文禄の役
1597年 慶長の役
1600年 関ヶ原の戦有馬晴信肥前国にあって西軍につくが、西軍の敗報に東軍に寝返り、小西行長宇土城を攻撃
1609年 有馬晴信、マカオで朱印船の乗組員60名が殺害された報復として、長崎港にきたポルトガル船マードレ・デ・デウス号を攻撃
1612年 岡本大八事件により有馬晴信は甲斐国への追放処分に
1616年 松倉重政が城主に(4万3千石)
1618年 松倉重政、新たな居城、島原城の築城を開始
1624年 島原城が完成、これにより廃城