秀吉の中国攻略の拠点
姫路城ひめじじょう
場所 兵庫県姫路市本町
旧国郡名 播磨国 飾東郡
別名 白鷺城、姫山城
種別 平山城
築城時期 1346年(興国7年)
築城背景 南北朝時代、室町幕府設立に功のあった赤松貞範が築城。(砦程度の規模)
名城 国宝5城  日本100名城  私の500名城  現存12天守 ユネスコ世界遺産
主な城主 赤松氏、山名氏、小寺氏、黒田官兵衛羽柴(豊臣)秀吉木下家定池田輝政、本多氏
天守 連立式望楼型5重6階地下1階
大天守と3つの小天守を2重の渡櫓で連結(現存)
主な遺構 大天守、小天守3基、隅櫓、渡櫓、城門、石垣、堀
主な再建物  
交通 JR山陽本線など 姫路駅 徒歩約30分
駐車場 城域周辺の有料駐車場
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩10分

西の丸から望む連立式天守

三の丸跡から望む連立式天守

二の丸と上山里曲輪の間の「ぬの門」
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構成 瀬戸内海に沿って走る山陽道沿い、播磨国のほぼ中央部にある姫山と鷺山を中心に築かれた壮大な平山城。

秀吉が居城とする以前の本丸は、現在の主郭部のある鷺山ではなく、やや東にある姫山にあり、鷺山は出城程度のものであった。

羽柴(豊臣)秀吉の増築により鷺山も城域に取り込まれるとともに、本丸には3重4階の天守が築かれた。

池田輝政の大改修により主郭部が鷺山に移され、本丸には5重7階の大天守や2重の渡櫓で連結させた3つの小天守が築かれた。

縄張りは、各曲輪をらせん状に配した珍しい形状の輪郭式となっている。
本丸の周囲には、備前曲輪、上山里曲輪などを配し、その西側に二の丸、その西側には千姫ゆかりの西の丸、そして南側には菱の門を隔てて広大な三の丸を配し、以上が内曲輪とされ、周囲には内堀が廻らされた。
大手門は三の丸の南側に開かれた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 1993年に日本で初めての世界遺産に登録された。

主郭部は往時の姿をとどめており、連立式天守(大天守、3つの小天守)をはじめ、隅櫓、渡櫓、城門、井戸など見所満載。
略歴
●旧城
1346年 赤松貞範が姫山に築城。(姫山城)
1441年 嘉吉の乱で、赤松氏に代わり山名持豊が入城
1467年 応仁の乱で、赤松氏が再び入城
  その後、赤松氏家臣の小寺氏が入城
  のちに、小寺氏家老の黒田氏が入城、城の改修を行う
1567年 黒田家を相続した黒田官兵衛が城主に
1580年 織田信長の中国攻めの総大将、羽柴(豊臣)秀吉が城主となり、中国攻略の拠点に
  ●新城
1581年 羽柴(豊臣)秀吉、西の鷺山まで城域を拡大、本丸に3重4階の天守を築く
1582年 本能寺の変
  中国大返しの際、羽柴(豊臣)秀吉がこの城には戻らないことを決意
1585年 羽柴(豊臣)秀吉大坂城を築城し居城とし、一族の木下家定が城主に
1600年 木下家定、備中国足守(2万5千石)へ転封、池田輝政播磨国52万石を拝領し城主に
1601年 池田輝政、大改修を開始
その後、5重7階の大天守や。2重の渡櫓で連結させた3つの小天守などが完成
(後略)