瀬戸内海を見下ろす讃岐の要衝
引田城ひけたじょう
場所 香川県東かがわ市引田2930付近(登城口)
旧国郡名 讃岐国 大内郡
別名  
種別 平山城
築城時期 667年(天智天皇6年)
築城背景 阿倍比羅夫が率いる引田氏が築城(異説あり)
名城 続日本100名城 私の500名城
主な城主 四宮氏、矢野駿河守、仙石秀久 生駒親正
天守 なし
主な遺構 石垣、空堀
主な再建物  
交通 JR予讃線 引田駅 徒歩約30分
駐車場 引田港そばの無料駐車スペース
徒歩・登山 駐車スペース〜登る15分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登15分

引田港越しに望む城山)

西櫓跡の石垣

南の郭からの眺望
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構成 讃岐国東端、瀬戸内海に突き出た標高82mの小山に築かれた平山城。
かつては、西側だけが陸地と繋がっていた島であった。

山頂や4つの尾根のところどころを平削し、石垣造りによる7つの曲輪を配した梯郭式の縄張り。曲輪は丹後丸、北の郭、東の郭、西の郭、南の郭など。

各曲輪には櫓が建てられた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 城跡となっており、麓から15分ほどで山頂部へ着く。

石垣は北の郭のものが良く残っているほか、西の郭にもわずかに残っている。
略歴
667年 天智天皇の屋島築城の際、阿倍比羅夫が率いる引田氏が築城。(異説あり)
(中略)
1570年 城主、四宮光武、三好長治氏に攻められ城を奪われる
三好長治の家臣、矢野駿河守が城主に
1579年 矢野駿河守、三好式部少輔に謀殺される
1583年 引田の戦で、羽柴(豊臣)秀吉の家臣、仙石秀久長宗我部元親に敗北
1584年 長宗我部元親讃岐国を平定
1585年 秀吉の四国攻めで、長宗我部元親讃岐国から撤退
仙石秀久、高松10万石を拝領し、引田城主に
1587年 仙石秀久、秀吉の九州攻めに従軍
戸次川の戦で敗走したことを咎められ仙石秀久が失脚
讃岐国一国17万6千石を拝領した生駒親正が城主に
生駒親正、聖通寺城に居城を移す。これにより廃城