慶長出羽合戦の舞台となった山形城の支城
長谷堂城はせどうじょう
場所 山形県山形市長谷堂998付近(登城口)
旧国郡名 出羽国羽前 村上郡
別名 亀ヶ城
種別 山城
築城時期 1514年以前 (永正11年以前)
築城背景 山形城の西南を守備する支城として、最上家が築城(推定)
名城 私の500名城
主な城主 最上家、坂光秀
天守 なし
主な遺構 土塁、空堀、復元堀、模擬木柵
主な再建物  
交通 山形新幹線 蔵王駅 約3.9km
駐車場 専用の無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜登15分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登15分

北東から臨む長谷堂城

麓に復元された水堀

木柵(模擬)を巡らせた曲輪

本丸から本城の山形城方面を望む

二ノ郭そばの長谷観音堂
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構成 山形城の南西、約2里(8km)にある標高229m、比高約85mの小さな丘陵に築かれた山城。

山頂部に本丸を置き、周囲に数多くの帯状の曲輪を設けた連郭式の縄張り。

麓の平地部は、南を流れる本沢川を天然の外堀とし、西から北、東にかけては土塁や一部2重の水堀巡らせるなど、高い防御力を誇った。
縄張図
または
現地
案内図
現状 城跡公園として整備され、北側の八幡崎口そばの駐車場の横に、水堀の一部が復元されている。

約15分登ると本丸に到着、山形城のある市街方面や、直江兼継が本陣とした菅沢山方面の眺望もよい。

大手は東の内町口、搦め手は南の観音口であった。
略歴
1514年以前 山形城の西南を守備する支城として、最上家が築城(推定)
1514年 伊達稙宗に攻略される
1515年 奥州探題、最上義定が伊達家に臣従
1520年 最上義定が嗣子のないまま死没
1522年 中野家から入った2歳の長松丸が最上家当主に(最上義守)
1542年 伊達家の家督争い(天文の乱)が起こると、 最上義定は伊達稙宗に味方し、これにより長谷堂城を奪回し、伊達家から独立
1563年 最上義定が上洛し、将軍、足利義輝に拝謁
1564年 娘、義姫を稙宗の嫡男、伊達輝宗に嫁がせる
1567年 娘、義姫が、長男を出産(伊達政宗
1571年 最上義定、嫡男の最上義光に家督を譲る
(中略)
1600年 関ヶ原の戦の際、最上義光は東軍についたことから上杉家家老直江兼続の侵攻を受けるが、東軍勝利の報により上杉勢は撤退(長谷堂城の戦
最上義光、出羽国52万石の太守となり、坂光秀が長谷堂城主に
1616年 坂光秀が死没し、子の坂光重が城主に
1622年 最上騒動により最上家が改易となり、その後廃城に