天草四郎ら一揆勢3万7千人が籠った
原城はらじょう
場所 長崎県南島原市南有馬町乙489付近
旧国郡名 肥前国 高来郡
別名 春城、志自岐原城、日暮城、有馬城
種別 平山城
築城時期 1496年(明応5年)
築城背景 有馬貴澄が、日野江城の支城として築城
名城 続日本100名城 私の500名城
主な城主 有馬家
天守 不明
主な遺構 石垣、空堀
主な再建物  
交通 須川港から約6.6km
駐車場 無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜登2分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登2分

本丸に建つ天草四郎像

石垣が一部残る本丸

埋門跡 

本丸門跡

本丸から望む島原湾
(左上の島が談合島=湯島)

空堀
 
構成 肥前国島原半島の南、有明海(島原湾)に突き出た駒崎鼻と呼ばれる崖に築かれた、広大な平山城。

大きな枡形虎口を持つ本丸は石垣造りで、その南西の天草丸(大江出丸)、本丸西の鳩山出丸(備中出丸)、本丸の東に空堀や蓮池を挟んで広がる二の丸、さらにその東の段下に広がる三の丸などから構成されていた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 国の史跡となっており、空堀や石垣の一部などが遺構として残されている。

本丸には一揆方の総大将、天草四郎時貞の像や十字架などが建つ。

1990年以降の発掘調査では、破却された石垣などを使って埋められた空堀の中から、大量の人骨やロザリオが見つかっているほか、教会で使用された花十字紋瓦も見つかっている。
略歴
1496年 有馬貴澄が、居城、日野江城の支城として築城
(中略)
1624年 日野江城主、松倉重政が島原城を築いて居城を移す
  これに伴い廃城に
1637年 松倉家の圧政により島原の乱が勃発
  一揆勢3万7千が原城に籠城
1638年 幕府軍12万に攻められ落城、城内のほぼ全員が戦死