荒川が削った断崖の上の堅城
鉢形城はちがたじょう
場所 埼玉県大里郡寄居町鉢形2609
旧国郡名 武蔵国 男衾郡
別名  
種別 平山城
築城時期 1476年頃(文明8年)
築城背景 関東管領上杉顕定と対立した越後国の長尾景春が築城。
名城 日本100名城  私の500名城
主な城主 長尾景春、上杉顕定、足利顕実、長尾景長、藤田重利(康邦)、北条氏邦
天守 なし
主な遺構 土塁、堀
主な再建物  
交通 東武東上線など 寄居駅 徒歩約15分
駐車場 鉢形城歴史館の無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜徒歩5分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩5分

荒川越しに見る鉢形城

本丸から見下ろす荒川

城内を流れる深沢川
noimege
構成 荒川が削り取った断崖の上に築かれた城で、武蔵国北部の重要な拠点として機能した。

本曲輪、御殿曲輪、二の曲輪、三の曲輪、秩父曲輪、諏訪曲輪。外曲輪などから構成された梯郭式の縄張りで、城内には深沢川を取り込んでいた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 外曲輪に、鉢形城歴史館が建てられていたり、城内を一般道が突き抜けていたりするが、各曲輪や堀、深沢川など、往時の名残をなるべく残しつつ整備されている。
略歴
1476年 越後国の長尾景春が築城し、関東管領家に対する
1478年 太田道灌に攻められ落城
関東管領、山内上杉顕定の居城に
1510年 上杉顕定が、越後国で戦死。(長森原の戦)
その後は、古河公方の養子、足利顕実が城主に
1512年 長尾景長が足利顕実を攻めて城から追い、そのまま城主に
その後、藤田重利(康邦)が城主となり、改修
1546年 河越夜戦後は、藤田家に婿入りした北条氏邦が城主となり、武蔵国北部を治める
1569年 武田信玄(晴信)の小田原攻めの際、鉢形城も攻められるが守りきる
1590年 豊臣秀吉小田原城攻めの際、3千の兵が立てこもったが、前田利家上杉景勝本多忠勝らに攻められ、堅城ではあったが、城の南西約2qにある車山からの大砲攻撃で甚大な被害を受けたため、1ヶ月後に落城
廃城