遠藤氏のあとに入った稲葉氏が大改修
郡上八幡城ぐじょうはちまんじょう
場所 岐阜県郡上市八幡町柳町659
旧国郡名 美濃国 郡上郡
別名 八幡城、積翠城、郡城、虞城
種別 平山城
築城時期 1559年(永禄2年)
築城背景 東殿山城城主の東氏を追って郡上郡を支配した遠藤盛数(山内千代の父)が居城として築城
名城 続日本100名城 私の500名城
主な城主 遠藤盛数、遠藤慶隆、稲葉貞通、遠藤慶隆、井上家、金森家、青山家
天守 不明
主な遺構 石垣、井戸跡
主な再建物 4重5階模擬天守、隅櫓(2基)、城門、塀
交通 長良川鉄道 郡上八幡駅 徒歩約40分
駐車場 専用の無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜登る1分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登1分

城門(再建)と模擬天守
 

松の丸の模擬隅櫓(手前)と
模擬天守

石垣

城跡から見下ろす郡上八幡市街
構成 長良川の支流、吉田川の右岸にある比高90mほどの八幡山に築かれた平山城。

主郭部は総石垣造りで、やや南北に長く平削された山頂部に本丸、その南側に松の丸、本丸の北側に桜丸を配した。本丸には天守台があったが、天守があげられていたという記録は残っていない。

本丸の西側の壇下には、三段の細長い帯曲輪が設けられていた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 総石垣が残されているほか、大垣城を模した4重5階模擬天守や、2基の隅櫓、城門、塀などが再建されている。
特に模擬天守は大変に美しく、司馬遼太郎にして「日本一美しい山城」と言わしめたほど。
略歴
1559年 遠藤盛数が築城
1562年 城主、遠藤盛数が死没、子の遠藤慶隆が城主に
1564年 竹中半兵衛稲葉山城(のちの岐阜城)乗っ取りに乗じた従兄弟の遠藤胤俊に、城を乗っ取られる
城主、遠藤慶隆は、弟の遠藤慶胤とともに鶴尾山城に入城
その後、長井利道が援軍に駆けつけたことから、遠藤胤俊が和睦を申し出て八幡城が返還される
1567年 主君、斎藤義興織田信長稲葉山城(のちの岐阜城)を落とされると、家臣の鷲見氏、別府氏が謀反を起こすが、遠藤慶隆はこれを攻めて勝利
遠藤慶隆、織田信長につき本領を安堵される
1572年頃 城主、遠藤慶隆、密かに甲斐国武田信玄とも通じる
1573年 三方ヶ原の戦武田信玄徳川家康に勝利
武田信玄上洛戦途上で死没
城主、遠藤慶隆、織田信長に攻められ降伏
1575年 長篠の戦では、城主、遠藤慶隆は鳶の巣山砦攻めで貢献
1582年 天目山の戦では、城主、遠藤慶隆は金森長近に従軍
1584年 小牧・長久手の戦では、城主、遠藤慶隆は三河中入隊として進軍するも徳川勢の攻勢を受け多くの家臣を失う
1585年 三木氏攻めでは、城主、遠藤慶隆は金森長近に従軍
1588年 城主、遠藤慶隆、羽柴(豊臣)秀吉への反抗などから領地を失う
替わって、稲葉貞通が城主となり、城の大改修を開始
1600年 関ヶ原の戦
稲葉貞通、豊後国臼杵(5万石)へ転封
再び遠藤慶隆が城主に
弟の遠藤慶胤が死没したためその遺領も併せ、2万7千石の領主に(初代、郡上藩主)
1614年 城主、遠藤慶隆、大坂冬の陣に従軍
1632年 城主、遠藤慶隆が死没
(後略)