黒田官兵衛の主君、小寺家の居城
御着城ごちゃくじょう
場所 兵庫県姫路市御国野町御着1171
旧国郡名 播磨国 飾東郡
別名  
種別 平城
築城時期 1519年(永正16年)
築城背景 播磨国守護、赤松家の一族、小寺政隆が築城。ただし当地は以前から赤松家の守護所であったともいわれる。
名城 私の500名城
主な城主 小寺政隆、小寺則職、小寺政職
天守 なし
主な遺構 移築橋
主な再建物  
交通 JR山陽本線 御着駅 徒歩約8分
駐車場 御着城址公園の無料駐車場
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩1分

御着城址

黒田官兵衛の顕彰碑

文政11年(1828年)に
天川に架けられた石橋(移築)
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構成 瀬戸内海に沿って走る山陽道沿い、播磨国のほぼ中央部の平地に築かれた平城。

本丸、二の丸の主郭部を中心に、西と南は天川を利用した二重の堀を穿ち、北と東は四重の堀で守った。

城域は総構えとし、町屋や山陽道を取り込んだ。
縄張図
または
現地
案内図
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現状 姫路市役所の出張所や御着城址公園、公民館などとなっており、黒田官兵衛の祖父、母の廟所もある。
城内を国道2号線が通っており、本丸は国道の南側に位置している。

ちなみに姫路城は、この御着城の支城のひとつであった。
略歴 1519年
赤松家家臣、小寺政隆が築城。

1520年
小寺政隆が庄山城に移り、子の小寺則職に城を譲る。

1545年
小寺則職が隠居し、子の小寺政職が城主に。

家臣の黒田重隆、職隆父子を姫路城代に。

その後、城を改修。

1576年
城主小寺政職が、西から進出してきた毛利家と、東から進出してきた織田信長の部将、羽柴(豊臣)秀吉から誘降を持ちかけられるが、家臣黒田官兵衛の助言により織田家につくことを決定。

1578年
東播磨三木城主の別所長治が毛利家に寝返ると、それに同調。

1580年
三木城兵糧攻めに伴い織田信忠に攻められ落城。その後廃城。