徳川・武田により争奪戦が繰り広げられた城
二俣城ふたまたじょう
場所 静岡県浜松市天竜区二俣町1868付近
旧国郡名 遠江国 豊田郡
別名 蜷原城
種別 山城
築城時期 1560年(永禄3年)
築城背景 駿河国守護今川家家臣、松井家が、それまでの笹岡古城(平城)に代わる山城を居城とすべく築城したと推定
名城 私の500名城
主な城主 松井家、徳川家、武田家、大久保忠世堀尾吉晴
天守 不明
主な遺構 天守台、石垣、堀
主な再建物  
交通 遠州鉄道 二俣本町駅 徒歩約12分
駐車場 北曲輪そばの無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜登る3分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登3分

天竜川越しに望む二俣城

北曲輪から本丸への入り口にある
食い違い虎口と、奥に見える天守台

本丸

天守台

北曲輪
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構成 遠江国の中央部、遠州平野に流れ出す天竜川が削った、標高90mの断崖の上に築かれた山城。

城の北から西へ流れる天竜川と、城の東を流れる二俣川を天然の外堀とし、北曲輪、本丸、西曲輪、薮屋敷、南曲輪の順に配した連郭式の縄張り。
本丸の南西隅には、掘尾家時代に天守台が置かれ天守(詳細不詳)が築かれていた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 城山公園として整備されており、本丸曲輪や野面積み石垣の天守台、虎口などが残っている。

旭ケ丘神社のある北曲輪そばには駐車場があり、そこから3分ほど登ればすぐに主郭である。
略歴
1560年頃 駿河国今川家の家臣、松井家により築城される。(異説あり)
1568年 この頃から、徳川家康武田信玄の争奪戦の舞台に
1572年 武田信玄が城を攻め、水の手を切ることに成功したことから落城
松井家は武田家に降伏
その後徳川家康が松井家を攻め降伏させる
城代として、鵜殿氏長が入る
その後、中根正照が城代に
武田信玄の3万の大軍による上洛戦の途上攻められ、落城
武田信玄の家臣、依田信蕃が城代に
三方ヶ原の戦
1573年 武田信玄死没
徳川家康が奪回を図り二俣城を攻めるが失敗
1574年 徳川家康武田勝頼高天神城を奪われる。(高天神城の戦(第一次)
1575年 長篠の戦で、武田勝頼織田信長徳川家康連合軍に大敗
徳川家康が再び二俣城を攻め、城代の依田信蕃が降伏開城
徳川家康家臣、大久保忠世が城主に
1579年 信康事件で、家康の嫡男松平信康二俣城内で切腹
1590年 徳川家康が関東へ移封となり、替わって堀尾吉晴が浜松を拝領し浜松城城主となり、その支城に
堀尾吉晴、天守を建設
1600年 堀尾家の出雲国転封により、廃城。