京都を見下ろす桃山の堅城
伏見城ふしみじょう
場所 京都府京都市伏見区桃山町古城山
旧国郡名 山城国 紀伊郡
別名 木幡山伏見城
種別 平山城
築城時期 1596年(慶長元年)
築城背景 豊臣秀吉が1595年に隠居城として築いた指月桃山城が初代だが、翌1596年の大地震のため崩壊したため、地盤の悪い同地を嫌い、木幡山に新たに築城した。

豊臣家の京都における拠点は聚楽第であったが、1595年の秀次事件を機に取り壊され、それに代わる拠点としての意味合いもあった。
名城 私の500名城
主な城主 豊臣秀吉徳川家康
天守 詳細不明
主な遺構 堀、空堀、移築門
主な再建物 模擬天守
交通 京阪本線 丹波橋駅 徒歩約15分
駐車場 周辺の有料駐車場
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登7分

本丸の内堀
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構成 山城国南部、京都盆地を流れる宇治川の北、伏見桃山御陵のある木幡山中心に築城された、平山城。

本丸を中心に、西に二の丸、その南西に三の丸を置いた。

三の丸の西は石田三成の屋敷があった治部少丸、三の丸の東は増田長盛の屋敷のあった増田丸、本丸の東には名護屋丸、その北に松之丸、本丸の北に前田玄以の屋敷があった徳善丸、その北東に長束正家の屋敷のあった大蔵丸、その東には浅野長政の屋敷があった弾正丸などを配した、梯郭式の縄張り。

さらには、名護屋丸の南に秀吉好みの山里曲輪が、治部少丸の北には治部池を挟んで御花畑山荘と呼ばれる曲輪が広がっていた。

大手門は、三の丸、治部少丸の南側に開かれた。

また城地の南には、京都最大の巨椋池が広がり、数多くの小島が点在していた。
縄張図
または
現地
案内図
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現状 指月桃山城の場所は、宇治川に架かる観月橋の北東の丘陵部。

木幡山伏見城の本丸跡は明治天皇陵、名護屋丸は明治天皇の皇后、昭憲皇太后陵となっており、立ち入りはできない。

すでに廃園となってしまったが、伏見桃山城キャッスルランドの目玉として、徳善丸跡に、5重6階の模擬天守と3重4階の模擬小天守が建てられた。
現在では老朽化と耐震強度の問題で立入禁止となっている。

大蔵丸や弾正丸跡は、伏見北堀公園となっており、水堀や空堀などの遺構が見られる。

大手門は移築され、大手道にある御香宮神社(城地の南西、近鉄桃山御陵前駅の近く)の表門に利用されている。

巨椋池は、そのほとんどが干拓により埋立地となっている。
略歴 1596年
豊臣秀吉が、地震で倒壊した指月伏見城に代わる城として築城。

1598年
豊臣秀吉死没。

1599年
徳川家康が本丸に入城。

徳川家康が、大坂城西の丸に移る。
これにより、家康の家臣が城代をつとめる。

1600年
徳川家康が会津、上杉景勝攻めに向かうと、石田三成らが大坂城で挙兵。
伏見城は家康の家臣、鳥居元忠が1800の手勢を率いて守将をつとめるが、西軍の宇喜多秀家ら4万の大軍に攻められ、8月1日に炎上の上、落城。
(伏見城の戦)