信玄が三河進出の拠点として築いた
古宮城ふるみやじょう
場所 愛知県新城市作手清岳宮山31付近
旧国郡名 三河国 設楽郡
別名  
種別 平山城
築城時期 1571年頃(元亀2年)
築城背景 武田信玄三河国進出の拠点とすべく、家臣、馬場信春に命じ築城させた
名城 続日本100名城  私の500名城
主な城主 武田家
天守 なし
主な遺構 空堀、竪堀、土塁、井戸
主な再建物  
交通 JR飯田線 新城駅 約18.5km
駐車場 Pスペースあり
徒歩・登山 Pスペース〜登1分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登1分

古宮城

空堀と土塁

土塁

空堀と土塁

空堀
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構成 奥三河の山間の村、作手にある、比高30mほどの丘を利用して築かれた平山城。

城域は東西約250m、南北約200mほどの円形で、140mに及ぶ巨大な竪堀を隔てて東の東城と西の西城から構成されている。
両城は主郭そばにある1本の土塁だけで接続され、それぞれ多くの曲輪を段下に設けた。

西城の北側には5重の堀を穿って防備した。

当時は作手街道が通る西方面以外は湿地に囲まれ、規模の割には難攻不落の城であった。
縄張図
または
現地
案内図
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現状 ほとんど手付かずの城跡として残されている。

市の史跡ではあるが縄張り図などが建てられておらず、曲輪は雑木林と化しており不安を感じながら登城したが、空堀、土塁など工夫を凝らした武田流の縄張りを堪能できた。
略歴
1571年頃 武田信玄が三河進攻の際の拠点として、家臣、馬場信春に命じ築城させる
この前後、作手城主の奥平貞勝、奥平貞能は武田家に寝返る
1572年 武田信玄上洛戦を開始
  三方ヶ原の戦
1573年 武田信玄が死没
奥平貞能が隠居し、子の奥平貞昌(信昌)が徳川方となって家督を相続、長篠城に移る
1575年 長篠の戦で武田勢が大敗。これにより城から武田勢が撤退し、廃城(推定)