4重天守を伴った大分川河口の平城
大分府内城おおいたふないじょう
場所 大分県大分市荷揚町4-1
旧国郡名 豊後国 大分郡
別名 大分城、大分府内城、白雉城、荷揚城
種別 平城
築城時期 1597年(慶長2年)
築城背景 臼杵から府内12万石に転封された福原直高が築城
名城 日本100名城 私の500名城
主な城主 福原直高、早川長政、竹中重利、竹中重義、日根野家、大給松平家
天守 4重天守(詳細不明・非現存)
主な遺構 人質櫓、宗門櫓、石垣、堀
主な再建物 着到櫓、東丸二重櫓、西丸二重櫓、大手門、廊下橋
交通 JR日豊本線 大分駅 徒歩約15分
駐車場 周辺の有料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜歩3分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩3分

大手門(多聞櫓門)(復元)

人質櫓(現存)

東丸二重櫓(復元)

東丸着到櫓(復元)

天守台

天守台から廊下橋(復元)を見下ろす
構成 豊後国東部、かんたん湾(現、別府湾)に注ぐ大分川の河口に築かれた平城。

東には細く長い帯曲輪を隔てて大分川が流れ、北は海であった。

主郭は4重の天守をあげた天守台のある本丸が中心で、東に東丸、西に西丸を内堀を隔てて配し、西丸の北には廊下橋で連結した山里(曲輪)を、その西側に北丸を置き、多くの櫓があげられた。

これら主郭の南から西には、三の丸(侍町)が広がっていた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 大分城址公園として整備されており、二棟の櫓(人質櫓、宗門櫓)や石垣、広い中堀などの遺構が残る。
4重の天守の建てられた天守台は石垣のみ残る。また、内堀は県庁を建てる際に埋め立てられている。

山里曲輪には松栄神社が建てられており、西丸と連結する廊下橋が復元されているほか、着到櫓、東丸二重櫓、西丸二重櫓、大手門などの建物が復元されている。

北側の海は、埋め立てにより1kmほど北へ後退している。
略歴
1597年 府内12万石に転封された福原直高が築城
1599年 福原直高が臼杵6万石へ減封の上転封となり、早川長政が城主に(2万石)
1600年 関ヶ原の戦の際、早川長政は西軍についたため、細川忠興に攻められ降伏、開城
戦後、早川長政は改易に
1601年 竹中重利が城主に(2万石)
  竹中重利、大改修を開始
1615年 竹中重利が死没、子の竹中重義が城主に
1623年 失脚し謹慎処分を受けた松平忠直を預かる
1629年 竹中重義、長崎奉行に
1633年 竹中重義、密貿易に行った罪により改易(翌年切腹)
  日根野吉明が城主に(2万石)
  (後略)