上伊那の豪族、藤沢家の居城
福与城ふくよじょう
場所 長野県上伊那郡箕輪町福与1843(付近)
旧国郡名 信濃国 伊那郡
別名 鎌倉城・箕輪城
種別 平山城
築城時期 鎌倉時代
築城背景 諏訪一族、藤沢家が、居城とすべく築城したと推定
名城 私の500名城
主な城主 藤沢頼親
天守 なし
主な遺構 土塁、空堀
主な再建物  
交通 JR飯田線 木下駅 徒歩約25分
駐車場 城址公園の無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜徒歩3分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩3分

主郭跡

本丸の空堀

本丸の空堀

主郭から空堀越しの南郭をのぞむ
構成 伊那郡を流れる天竜川の河岸段丘を利用して築かれた平山城。

東西約330m、南北約440mの城域に、主郭、二の郭を並べて主郭とし、その北側の段下に広い北郭を置いた。

主郭の南側に広がる部分は南城と呼ばれ、乳母屋敷や権治郭を初め多くの曲輪が堀切によって区画された。
縄張図
または
現地
案内図
現状 城跡として整備されており、主郭部分に土塁や空堀が保存されている。

南城は宅地や畑地となっているが、一部が公園となっており駐車場もこの中にある。
略歴
????年 鎌倉時代に築城される(詳細不明)
1542年 諏訪一族で城主の藤沢頼親が、武田(晴信)信玄の侵攻を受け降伏。
1545年 藤沢頼親、小笠原長時と結んで武田家に反旗を翻す
1546年 再び武田家に攻められ降伏開城。
藤沢頼親は武田家重臣、穴山信友の配下に
1549年 上田原の戦で武田軍が敗退したことを受け、藤沢頼親は一旦武田家に反旗を翻すが、その後降伏
藤沢頼親、追放処分となり、武田家による改修が始まる
(中略)
1570年 武田信玄死没
1582年 織田信長の武田攻め(天目山の戦)により武田家が滅亡。
藤沢頼親が城主に復帰
本能寺の変
天正壬午の乱の際、藤沢頼親は北条家につくが、徳川家康についた保科正直に攻め落とされる