福岡の名付け親、黒田家52万石の城
福岡城ふくおかじょう
場所 福岡県福岡市中央区城内6-37付近
旧国郡名 筑前国 早良郡
別名 舞鶴城、石城
種別 平山城
築城時期 1601年(慶長6年)
築城背景 関ヶ原の戦の戦功により筑前国52万石を拝領した黒田長政が、手狭な名島城に代わる居城とすべく築城。
名城 日本100名城  私の500名城
主な城主 黒田長政、黒田忠之、黒田光之
天守 あり(不詳)
主な遺構 天守台、櫓門、櫓、石垣
主な再建物 再建櫓、門
交通 地下鉄空港線 大濠公園駅 徒歩約12分
駐車場 陸上競技場そばの有料駐車場など
徒歩・登山 陸上競技場そばの有料駐車場〜天守台まで徒歩3分
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩3分

表御門の虎口

天守台

本丸に残る祈念櫓

天守台からの眺望

南二の丸の多聞櫓
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構成 港町、博多の西にある福崎丘陵に築かれた平山城。

築城に際し福崎の名は、黒田長政の父、黒田官兵衛の強い意向により、黒田家繁栄の素となった備前国福岡と同じ「福岡」に改称された。

城域は東に頂点のあるやや細長い三角形で、北、東、南には堀を穿ち、西は草ヶ江干潟を掘って大濠とした。

城域南部の山頂部に本丸を置き、天守台も築いた。
黒田長政の「天守を取り壊す旨」書かれた文書の存在や遺構などにより、大天守とそれに続く中天守、小天守があげられていたと推定されているが、詳細は不明。

本丸の西から北にかけては帯曲輪が置かれ、北東に二の丸を、南東に南二の丸を配した。
これら主郭は総石垣造りであったことから、石城の異名も与えられた。

本丸の東は水の手とされ、また三の丸は主郭の北から西にかけて大きく広がっていた。

あげられた櫓は47基だった。
縄張図
または
現地
案内図
現状 主郭部は舞鶴公園として整備されており、石垣や天守台、南二の丸多聞櫓、祈念櫓、潮見櫓などが遺構として残っている。

また、大手門や、南二の丸多聞櫓に続く北側の南二の丸北隅櫓が再建されている。

水の手は野球場に、二の丸は球技場に、三の丸は学校や陸上競技場などになっている。

三の丸には、家老、母里太兵衛邸の長屋門が遺構として残されている。

大濠はそのまま大濠公園となっている。
略歴
1601年 黒田長政が築城し居城に
1620年 黒田長政、天守を破却
(中略)
幕末 大改修
1873年 廃城