上杉房憲が築いて深谷上杉氏を名乗った
深谷城ふかやじょう
場所 埼玉県深谷市本住町17
旧国郡名 武蔵国 幡羅郡
別名 木瓜城(ぼけ)
種別 平城
築城時期 1456年(康正2年)
築城背景 上杉房憲が古河公方への備えとして築城し、庁鼻和城から移り深谷上杉氏を名乗った
名城  
主な城主 深谷上杉家、松平康直、松平忠重、酒井忠勝
天守 なし
主な遺構 土塁
主な再建物 模擬石垣、模擬城壁
交通 JR高崎線 深谷駅 徒歩約15分
駐車場 城址公園の無料駐車場
徒歩・登山 駐車場~徒歩1分~本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩1分

模擬石垣、模擬城壁

模擬石垣、模擬水堀 

富士浅間神社(智形神社) 
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構成 武蔵国の北端、深谷の、唐沢川や福川が囲む低湿地に築かれた平城。

城域面積は約20㏊、その形状から木瓜城と呼ばれた。

方形の本丸を中心に、西に二の丸、西の丸、東に東曲輪、北に北曲輪、秋元曲輪、南に掃部曲輪などを配し、深い堀と土塁が巡る堅城であった。

大手は南に、搦め手は北に開かれた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 ほぼ市街化され、主郭部は城址公園となっており、模擬石垣、模擬城壁がある。

遺構は富士浅間神社近辺の土塁跡程度。
略歴
1456年 庁鼻和上杉家の上杉房憲が築城、居城を移し、深谷上杉氏を名乗る
(中略)
1578年 城主、上杉氏憲、北条氏政の養女と結婚、これにより北条家の傘下に
1590年 豊臣秀吉小田原城攻めの際、上杉氏憲は小田原城に入城していたが、城代の秋元長朝や杉田因幡の判断により降伏、開城
(中略)
1590年 豊臣秀吉小田原城攻めの際、前田利家に攻められ降伏、開城
徳川家康の関東移封にともない、家臣の松平康直が城主に。(1万石)(初代深谷藩主)
1593年 松平康直が死没。徳川家康の七男、松千代が養子となり、城主に。
1599年 松平松千代が夭折。徳川家康の六男、辰千代(松平忠輝)が養子となり、城主に。
1602年 松平忠輝が、下総国佐倉(4万石)へ転封、これにより廃藩
1622年 酒井忠勝が城主となり(1万石)、再立藩
1624年 酒井忠勝が老中に(4万石)
1627年 酒井忠勝、父、酒井忠利の死没により川越藩主に(8万石)。これにより深谷藩は再び廃藩