武田・北条が取り合った駿東の拠点
深沢城ふかさわじょう
場所 静岡県御殿場市深沢609付近
旧国郡名 駿河国 駿東郡
別名  
種別 平山城
築城時期 不明(1530年頃?(享禄年間?))
築城背景 駿河国守護、今川家の築城と言われる
名城 私の500名城
主な城主 今川家、北条綱成、駒井昌直、三宅康貞
天守 なし
主な遺構 空堀、三日月堀、土橋、移築門(大雲院・十輪寺)
主な再建物  
交通 JR御殿場線 足柄駅 徒歩約40分、または城入口バス停〜徒歩5分
駐車場 付近になし
徒歩・登山 城入り口バス亭〜徒歩3分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩5分

深沢城の本丸

本丸を巻くように流れる馬伏川

二の丸

三の丸西の三日月堀
構成 駿河国の東端、酒匂川の支流、馬伏川と抜川の合流地点の台地に築かれた平山城。

堀替わりの二川の合流地点の断崖上に本丸を置き、南側に二の丸、その南西に三の丸を配した連郭式縄張り。

三の丸には三日月堀をいくつか廻らせ、三の丸の東側に馬出しを張り出すなど、武田家の城らしい備えとなっていた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 城跡は、田や林となっているが、案内板があるので縄張りを確認しながら廻ることができる。
曲輪の虎口や、かなり埋もれてしまった様子ではあるが、三日月堀や空堀、土橋などが確認できる。
市内の大雲院(深沢889)や十輪寺(中丸271)に、城門が移築され残っている。
略歴
1530年頃 駿河国守護、今川家が築城。(推定)
1536年 花倉の乱を経て、今川義元が今川家当主に
1560年 今川義元桶狭間の戦で討ち死に
子の今川氏真が今川家当主に
1569年 今川氏真、徳川家、武田家に攻められ、駿府城を捨て、家臣朝比奈泰朝の遠江国掛川城へ落ち延びる。(駿府攻め
これにより、深沢城は北条家の支配下となり、北条綱成が城主に
1570年 武田家に攻められ、深沢城矢文を送られた北条綱成が、開城し相模国に引き上げる
武田家家臣、駒井昌直が城主に
その後、武田流築城術を取り入れ改修。(推定)
1582年 天目山の戦で武田家が滅亡すると、城主、駒井昌直は城を焼いて退城
天正壬午の乱
1584年 徳川家康家臣、三宅康貞が城主に
1590年 豊臣秀吉小田原城攻めで北条家が滅亡
これにより存在価値がなくなり廃城に