天下普請の大改修を受けた徳川幕府の政庁
江戸城えどじょう
場所 東京都千代田区千代田1-3
旧国郡名 武蔵国 豊嶋郡
別名 千代田城
種別 平山城
築城時期 1457年(長禄元年)
築城背景 扇谷上杉家の家臣太田道灌が、古河公方方の千葉家などへ対する拠点として築城。
名城 日本100名城  私の500名城
主な城主 太田道灌、上杉家、北条家、徳川家康徳川秀忠
天守 5重6階天守(非現存)
主な遺構 堀、石垣、櫓、城門
主な再建物  
交通 JR東海道線など 東京駅から徒歩10分
駐車場 北の丸公園の有料駐車場など
徒歩・登山 大手町駅〜徒歩2分〜大手門〜徒歩10分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩12分

大手門(現存)

本丸の石垣

本丸の石垣

本丸の富士見櫓

桔梗堀越しに見る
三の丸の巽櫓と桔梗門(奥)

西の丸の二重橋と伏見櫓
構成 関東平野の南部、江戸湾に面した台地(駿河台)を利用して築城された平山城。

築城当時は、本丸と堀を隔てた二の丸が主郭の連郭式縄張りだったが、徳川時代の大改修により堀が埋められ現在の本丸となり、東側に二の丸、さらに東側に三の丸、それら主郭部の南に広がる西の丸、その東を埋め立て西の丸下曲輪、主郭部の西に吹上と呼ばれる広大な曲輪、さらにその北側に北の丸を配し、各所に水堀を廻らせた梯郭式の縄張となった。

さらに主郭の外側には広大な外曲輪を配し、それを南の江戸湾、東を流れる隅田川、西から北に流れ隅田川に合流する平川(神田川)などが形作る外郭で囲んだ総構の大城郭であった。
総構には三十六見附と呼ばれるほど多くの城門が開かれた。

本丸の北西隅には5重6階の天守が建てられたが、明暦の大火で消失してしまった。
縄張図
または
現地
案内図
現状 主郭部は皇居東御苑として公開されており、自由に見学ができる。
西の丸は宮内庁、吹上は御所、北の丸は公園や日本武道館、科学技術館、西の丸下は皇居外苑となっている。
富士見櫓、伏見櫓、巽櫓が現存しており、ほかに3基の多聞櫓も残っている、
城門としては大手門を初め多数現存しており、内堀や石垣も保存状態が良い。
略歴
1457年 太田道灌が築城
1486年 太田道灌、主君の上杉定正に暗殺され、上杉家の家臣、曽我祐重が城代に
1505年 扇谷上杉家当主、上杉朝良が城主に
1524年 北条氏綱に攻められ、太田資高が北条家に寝返り開城
その後、遠山直景、富永政景、太田資高が城代に
1590年 豊臣秀吉率いる22万人の大軍による小田原城攻めの際は、城代の遠山景政の弟、川村秀重が守っていたが、浅野長政前田利家、戸田忠次らに攻められ4月27日開城
関東に転封となった徳川家康の居城に
1600年 関ヶ原の戦
1603年 徳川家康征夷大将軍となり江戸に開府
1604年 天下普請による大改修が開始
1605年 徳川秀忠、2代征夷大将軍
1607年 最初の天守築城
(後略)