加賀一向一揆の拠点となった山城
大聖寺城だいしょうじじょう
場所 石川県加賀市大聖寺錦町58付近
旧国郡名 加賀国 江沼郡
別名 錦城
種別 山城
築城時期 不明(鎌倉時代)
築城背景 鎌倉時代に狩野氏の居城として築城された
名城 私の500名城
主な城主 狩野家、津葉家、一向一揆、朝倉家、柴田勝家佐久間盛政、拝郷家嘉、溝口秀勝、山口宗永、前田家
天守 なし
主な遺構 土塁、空堀
主な再建物  
交通 JR北陸本線 大聖寺駅 徒歩約20分
駐車場 錦城山公園の無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜登る10分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登10分

大聖寺城

土塁の残る本丸跡

主郭部からの展望
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構成 加賀国南西端、日本海を見下ろす、標高67mの錦城山に築かれた山城。

山頂付近の本丸を中心に、二の丸、三の丸、西丸、東丸、鐘丸、戸次丸などを配した連郭式の縄張り。曲輪間には巧みに空堀を儲け、主要な曲輪は土塁で囲んでいた。

城域の北を、東から西に大聖寺川が流れ天然の堀となっていた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 錦城山公園となっており、麓の駐車場から容易に登ることができる。
明治時代に贋金造りを行ったという洞窟もある。
略歴
????年 狩野家の居城として築城(鎌倉時代?)
その後、加賀一向一揆の重要拠点として機能
1555年 南隣越前国の朝倉宗滴に攻められ落城。朝倉家の支配下に
1567年 一向一揆と組んだ堀江景忠が朝倉家に敵対
和議条件により、破却される
1575年 織田信長が越前一向一揆を攻略
越前国を与えられた柴田勝家が城を改修
1576年 江沼郡、能美郡で一揆が起こるが柴田勝家が平定
柴田勝家の部将、佐久間盛政が城主に
1580年 柴田勝家一向一揆の拠点、尾山御坊を攻略
部将、拝郷家嘉が城主に
1583年 賤ヶ岳の戦で敗北した柴田勝家が自害
羽柴(豊臣)秀吉により近江国越前国加賀国を加増された丹羽長秀の部将、溝口秀勝が城主に。(4万4千石)
その後、城を改修
1598年 越前国北ノ庄18万石に減封された小早川秀秋の家臣、山口宗永が城主に。(6万3千石)
1600年 関ヶ原の戦では西軍についたが、前田利長に攻められ落城
1600年 その後は前田家の支配下となり、津田重久が城代に
1615年 一国一城令により廃城
1639年 大聖寺藩(7万石)が分立し、城の跡地が藩庁に
(後略)