浦上家の天神山城の北を守った
茶臼山城ちゃうすやまじょう
場所 岡山県赤磐市周匝74-1(の北0.4km)
旧国郡名 備前国 赤坂郡
別名 周匝茶臼山城
種別 山城
築城時期 1532年頃(天文元年頃)
築城背景 笹部勘次郎が築城
名城 私の500名城
主な城主 笹部勘次郎
天守 なし
主な遺構 土塁、堀切
主な再建物 模擬天守
交通 JR姫新線 林野駅 約16km
駐車場 頂上に近い二の丸そばの無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜徒歩5分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩5分

吉井川の対岸から望む

山頂の模擬天守

空堀

本丸下の腰曲輪
構成 吉井川と、その支流の吉野川の合流地点にある、標高180mの茶臼山に築かれた山城。
美作国に近く、この吉井川を南に2里弱下った場所にある浦上家の本拠、天神山城の北面を守る城であった。

縄張りは、2つの尾根を利用した連郭式で、山頂部の本丸から西に曲輪が連なり、本丸の東下には太鼓丸と呼ばれた出丸が置かれた、

各曲輪は堀切で区切られ、二の丸はいくつかの小曲輪を隔てた西側のもうひとつのピークを平削して作られた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 城跡公園として整備されており、二の丸そばまで車で登って行ける。

駐車場から本丸までの道沿いに。江戸時代の周匝領主である片桐池田家の墓地などもある。

空堀や土塁などの遺構が残っているほか、本丸には2層3階の望楼型模擬天守が建てられており、麓からも望める。
略歴
1532年頃 備前国北部、周匝(すさい)の領主、笹部勘次郎が築城。
1551年 備前国の太守、浦上家が内部分裂。
1554年 浦上宗景、天神山城を築城し本家から独立。
笹部家は、浦上宗景に従っていたと推定。
その後は、天神山城の北、美作国の防御拠点に。
1560年 浦上宗景、毛利家や同じ備前国の三村家の援護を受け、尼子家や本家浦上家と抗争し備前国東部を掌握。
1563年 浦上宗景、兄で本家の浦上政宗と和睦、三村家と対立し、毛利家とも手を切り独立。
1568年 浦上宗景、家臣の宇喜多直家備前国西部の金川城を攻めさせ松田元輝・松田元賢父子を討ち、備前国のほとんどと美作国の一部を勢力下に置く。
1573年 浦上宗景、中国へ進出してきた織田信長から、備前国美作国播磨国の支配を認められる。
1574年 浦上宗景の家臣、宇喜多直家が離反、毛利家が宇喜多家に味方したために苦境に陥る。
1575年 毛利家が備中国の三村元親を攻め滅ぼす。
1577年 宇喜多直家浦上宗景の居城、天神山城が攻められ落城。(天神山城の戦)
1579年 宇喜多直家に攻められ落城。
(中略)
1632年 池田長明、周匝(すさい)を与えられ、麓に陣屋を構える。(2万2千石)
(後略)