竹中半兵衛の義弟、重利が拡張した
高田城たかだじょう
場所 大分県豊後高田市玉津1053
旧国郡名 豊後国 国東郡
別名 柴崎城、豊後高田城、豊洲陣屋
種別 平山城
築城時期 1196年(建久7年)
築城背景 大友家家臣、高田重定が居城とすべく築城(推定・異説あり)
名城  
主な城主 高田重定、高田隆定、高田義治、高田鑑将、高田鎮孝、高田正孝、竹中重利、能見松平家
天守 不明
主な遺構 石垣、堀
主な再建物  
交通 JR日豊本線 宇佐駅 約5km
駐車場 公民館の駐車場を利用(要許可)
徒歩・登山 駐車場〜歩1分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩1分

鎌倉時代に築かれた本丸の石垣と石段

石垣

伝、鉄砲町(奥に石段が見える)

本丸の北東300mに残る水堀
構成 豊後国国東半島の西の付け根、高田の桂川河口そばの段丘に築かれた平山城。

当時は城域のすぐ西まで海岸が迫っていたらしく、海岸そばの断崖上に石垣造りの本丸を置き、北から東、南に内堀を巡らせた。

本丸の西以外を囲むように広大な二の丸を広げ、外堀で囲み、さらにその東側に三の丸が広がっていた。
縄張図
または
現地
案内図
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現状 本丸は小学校や公民館となっており、鎌倉時代から残る石垣や石段が残されている。

二の丸も市街化されているが、本丸の北側の一部と、二の丸の北東に水堀の一部が残されている。
略歴
1196年 高田重定が居城として築城(異説有り)
(中略)
1534年 勢場ケ原の戦に参陣した、城主、高田義治が戦死
  高田鑑将が城主に
1558年 馬岳城攻めで、先陣を務めた高田鑑将が戦死
  高田鎮孝が城主に
1578年 耳川の戦に参陣した高田鎮孝が戦死
  高田正孝が城主に
1586年 豊後国が島津家の侵攻を受け始めると、高田正孝は木付鎮直、大神鎮勝、田染統基らと杵築城に籠城し守り抜く
戸次川の戦
1587年 豊臣秀吉九州攻め
文禄の役で、大友義統が敵前逃亡の罪により改易となり、高田城主、高田正孝も邑浜に蟄居
美濃国長浜から転封となった竹中重利が城主に(1万3千石)
1600年 関ヶ原の戦では、竹中重利ははじめ西軍につくが、黒田官兵衛の誘降を受け東軍につく
1601年 竹中重利は大分府内城主(2万石)に
細川家の支配下に
1615年 一国一城令により破却処分に
1639年 松平重直(能見松平家)が初代藩主(3万7千石)となり、城を修築
1643年 松平重直が死没、子の松平英親が藩主に(3万2千石)
1645年 松平英親、杵築藩(3万2千石)に転封(杵築城主)
  廃城
1669年 島原藩の飛地となり、本丸跡に豊州陣屋が築かれる 
  (後略)