秀吉の水攻めに水没した
備中高松城びっちゅうたかまつじょう
場所 岡山市北区高松559付近
旧国郡名 備中国 賀夜郡
別名  
種別 平城
築城時期 1573年頃(天正3年頃)
築城背景 毛利家に属していた三村元親が、備中国の国人、石川久式に築城させ、備前国宇喜多直家に備えた。境目七城のひとつ。
名城 続日本100名城 私の500名城
主な城主 石川久式、清水宗治
天守 なし
主な遺構 城沼、水攻め築堤
主な再建物  
交通 JR吉備線 備中高松駅 徒歩約10分
駐車場 高松城址公園の無料駐車場
徒歩・登山 駐車場のすぐそばが城址
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩1分

高松城跡
 

太閤ヶ丘・石井山・蛙ヶ鼻
(羽柴秀吉・秀長らの陣)

城址から望む庚申山(岩崎山)
(吉川元春の本陣)

蛙ヶ鼻突端に残る
水攻め築堤の一部 
構成 備中国の東端、西から南に足守川が流れる湖沼の多い平地に築かれた平城。

本丸、二の丸、三の丸を、北から南に並べた連郭式の縄張りで、本丸の北には主郭を守るように中須賀家中屋敷と樫の鼻と呼ばれた曲輪があった。

城域は北沼、西沼、東沼などに囲まれ、城へ通じる道は、大手からと搦め手からの2本という要害であった。
縄張図
または
現地
案内図
現状 高松城址公園として整備されており、沼城のイメージが味わえる。
公園内には、秀吉軍、毛利軍の陣所のあった方向を示すモニュメントもある。

水攻めのために秀吉が12日間の突貫工事で築いた、高さ7.2m、下底24m、上底10m、長さ約3kmの長大な堤防の一部が、10分ほど歩いた蛙ヶ鼻に残っており、こちらも水攻め築堤跡として整備されている。
略歴
1573年頃 備中国の国人、石川久式が、三村元親の命を受け築城。
1574年 三村元親、仇である宇喜多家と結んだ毛利家から離反、織田信長と結ぶ。
1575年 石川久式、備中松山城に入り、毛利家、宇喜多家と戦うが落城、落ち延びる途上、討ち死に。(備中兵乱)
戦後は、毛利家家臣、清水宗治が城主に。
1580年 中国に進出してきた織田家家臣、羽柴(豊臣)秀吉に攻められる。
1582年 羽柴(豊臣)秀吉備中高松城の水攻めにあい、清水宗治が自害。
廃城。