相模三浦家終焉の海城
新井城あらいじょう
場所 三浦市三崎町小網代1027(付近)
旧国郡名 相模国 三浦郡
別名 荒井城
種別 平山城(海城)
築城時期 ????年(鎌倉時代?)
築城背景  
名城  
主な城主 佐原家、三浦時高、三浦道寸、北条家
天守 なし
主な遺構 土塁
主な再建物  
交通 小田急線 伊勢原駅 徒歩約20分
駐車場 油壺マリンパークの有料駐車場など
徒歩・登山 有料駐車場〜歩3分〜主郭
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
× 歩3分

土塁

油壺湾

引橋跡
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構成 相模国東南、三浦半島にある小さな岬に築かれた海城。
南の崖下は入り組んだ油壺湾、北側は小網代湾、西には相模湾が広がる三方を海に囲まれた立地。

城はこの岬全体を使用して築かれ、南端の高台に本丸と二の丸が置かれた。
岬の根元に空堀を穿って橋を架け(内の引橋)、これが城内と城外を隔てたと推定される。

かなり離れているが北北東約3kmの大きな谷にも引橋を架け、有事にはこの橋を落とし南側に広がる城域を守備した。

1516年の相模三浦家滅亡の頃は、南東約3kmにある三崎城の支城または水軍基地のひとつだったという説がある。
縄張図
または
現地
案内図
現状 主郭部は、本丸跡が東京大学の臨海実験場、二の丸跡が京急油壺マリンパーク(水族館)となっている。

マリンパーク南西の崖下には荒井浜海水浴場もあって、夏場は海水浴客で賑わう。

遺構としては土塁や空堀がわずかに残る程度。

北北東約3kmの引橋があった場所には国道134号が通り、コンクリートの立派な橋が架けられている。
略歴
1250年頃(?) 宝治合戦により三浦家が滅亡した後、一族の佐原家(相模三浦家)の居城として築城される(推定)
(中略)
1494年 三浦道寸小田原城の大森家の援助を受け、新井城の養父、三浦時高とその子、三浦高教を攻め滅ぼし、三浦家を相続
その後三浦道寸は、家督と新井城を子の三浦義意に譲り、岡崎城を居城に
1495年 北条早雲小田原城を手に入れ居城に
1512年 北条早雲から岡崎城を攻め落とされた三浦道寸が住吉城、のちに新井城に逃げ込む
三浦道寸は三浦の住吉城、のちに新井城へ逃げ込む
北条早雲から包囲されるが、天嶮の要害だったため3年間の籠城を続ける
1516年 北条早雲から攻められ陥落、三浦道寸は討ち死に。北条早雲相模国を平定
(後略)