坂北の領主、青柳家の居城
青柳城あおやなぎじょう
場所 長野県東筑摩郡筑北村坂北2730(登城口)
旧国郡名 信濃国 筑摩郡
別名  
種別 山城
築城時期 1211年頃(建暦元年頃)
築城背景 伊勢神宮の御厨預職として麻績村に赴任した青柳家が、居城とすべく築城(推定)
名城 私の500名城
主な城主 青柳家
天守 なし
主な遺構 石垣、土塁、空堀、土橋、切通し
主な再建物 模擬櫓門、模擬櫓、模擬冠木門
交通 JR篠ノ井線 坂北駅 徒歩約30分
駐車場 無料駐車場
徒歩・登山 駐車場〜登7分〜本丸
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
登7分

模擬櫓門と模擬櫓

堀切

本丸の模擬冠木門 

本丸の石垣

本丸からの眺望

麓の館跡
構成 松本平と川中島の中間にある聖高原のそば、坂北村にある標高905mのピークに築かれた山城。
南東約4qには標高1387mの四阿屋山がある。

山頂部に一部石垣を使用した一ノ廓(本丸)をはじめとする多くの曲輪を置いて堀切で隔て、効果的に竪堀や土塁を使用して防備した。
縄張図
または
現地
案内図
現状 青柳城址公園として整備されている。

南西麓の碩水寺前を通る道が山頂付近まで続いており、城址そば、時計塔の近くに駐車場が完備されている。

その駐車場から少し降りた林の中に模擬櫓門と模擬櫓が建てられており、そこから二重堀切や土塁、竪堀を眺めながら各曲輪を通り、軽い登りで一ノ廓へ向かう。

一ノ廓には模擬冠木門があり、曲輪の北側は布目積みの高い石垣となっており、戦国時代末期の遺構と推定されている。

徒歩の場合、西麓にある館跡(清長寺)から30分ほどの登山になる。
略歴
1211年頃 青柳家が築城
(中略)
1551年 城主、青柳清長、甲斐国武田(晴信)信玄の侵出を受けて、守護、小笠原家から離反し武田家につく
その後、青柳清長は麻績城に入りこれを守備
1553年 小笠原家の支援に駆けつけた長尾景虎(上杉謙信)が攻略
武田家から攻められ、再び武田家の支配下に
1569年 青柳清長が死没
1582年 武田家が滅亡すると、青柳頼長は織田家に従う
本能寺の変後、青柳頼長は上杉家に従う
深志城(松本城)に小笠原貞慶が入城すると、青柳頼長は上杉家から離反し小笠原家に従う
1583年 上杉景勝に迫られ落城、上杉家の小笠原・青柳攻めの本陣に
1587年 青柳頼長、深志城(松本城)に招かれ小笠原貞慶に誅殺される
その後、小笠原家家臣、松林家が城代に
(後略)