赤穂浪士で名高い播州の海城
赤穂城あこうじょう
場所 兵庫県赤穂市上仮屋2付近
旧国郡名 播磨国 赤穂郡
別名 加里屋城、大鷹城
種別 平城
築城時期 1466年頃(文政元年頃)
築城背景 赤松氏の一族、岡光広が居城とすべく築城し、刈屋城と名づけた。
名城 日本100名城  私の500名城
主な城主 岡光広、生駒親正、宇喜多氏、池田長政、垂水半左衛門(城代)、池田忠継、池田政綱、池田輝興、浅野氏
天守 なし
主な遺構 石垣、堀、天守台
主な再建物 櫓、門、塀
交通 JR赤穂線 播州赤穂駅 徒歩約20分
駐車場 城内の無料駐車場
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩3分

大手門横の大手隅櫓(再建)

本丸にある天守台

天守台から望む本の丸門(再建)
 

本丸へのもうひとつの入り口
厩口門(再建)

内堀と本丸の石垣
 

三の丸に残る
浅野家家老、大石邸長屋門
構成 播磨国の南西端、播磨灘に注ぐ千種川の河口そばに築かれた海城(平城)。

江戸時代、池田氏時代の大鷹城を元に、林羅山の高弟で甲州築城術に通じる軍学家でもあった山鹿素行の意見を取り入れて築城された。

城域の南半分は海や干潟に面した、正に海城で、他に類を見ない不規則な七角形の本丸を内堀が取り囲み、その周囲に二の丸を廻らせさらに水堀で囲んで主郭とし、その西から北に三の丸を置いた変則的な輪郭式縄張り。

本丸の東隅には天守台が築かれ、その上に5重の天守の築城も計画されたが、実現しなかった。その替わり本丸には2つの櫓門と4基の隅櫓が上げられた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 赤穂城跡公園として整備されている。

広大な本丸やそれを囲む二の丸の石垣、本丸の天守台、堀、三の丸には浅野家家老の大石邸の大長屋門などが遺構として残っており、甲州流築城術による複雑な縄張りを堪能できる。

また、古図面を元に、本の丸櫓門や厩口門、三の丸の大手門横の大手隅櫓などが再建されているほか、本丸御殿を平面的に示されていたり、二の丸庭園が復元整備中だったりと見所は満載である。

また、三の丸の大石邸跡は、赤穂四十七浪士を祀る大石神社となっており、浪士たちの石像(黒大理石製)が並んでいる。
略歴 ●加里屋城
1466年
赤松氏の一族、岡光広が居城とすべく築城し、刈屋城と名づける。

(中略)

1586年
生駒親正が城主に。(6万石)

1587年
讃岐国一国17万6千石を拝領した生駒親正に替わり、岡山城主、宇喜多秀家の支配下に。

1600年
関ヶ原の戦

●大鷹城
播磨国52万石を拝領した池田輝政の支配下となり、弟の池田長政が城主となり、改修を加え大鷹城と改名。(2万2千石)

1603年
池田長政、備前国下津井(3万2千石)へ加増の上転封となり、替わって郡代で浦手奉行だった垂水半左衛門が城代に。

1613年
池田輝政が死没。

輝政の二男、池田忠継の支配下となり、改修が行われる。

1615年
池田忠継が死没。弟の池田政綱が城主に。(3万5千石)

1631年
池田政綱、嗣子がないまま病没となり、池田家は一旦改易に。

その後、弟の池田輝興が城主に。(3万5千石)

1645年
池田輝興、発狂により改易。

その後、浅野長直が城主に。(5万3千石)

●赤穂城
1648年
大改修により、赤穂城と改名。

(中略)

●江戸城松の廊下の刃傷事件
1701年
城主、浅野長矩(内匠頭)、江戸城松の廊下にて、吉良義央(上野介)への刃傷に及び、即日切腹処分となり、浅野家は改易にとなり、城は龍野藩の脇坂家預かりに。

1703年
赤穂浪士による、吉良邸討ち入り。

(後略)