黒田長政の三男、長興が改修
秋月城あきづきじょう
場所 福岡県朝倉市秋月野鳥663付近
旧国郡名 筑前国 夜須郡
別名 杉本城、秋月陣屋
種別 平城
築城時期 1203年(建仁6年)
築城背景 筑前国の武士、秋月種雄が古処山城を築城
その後古処山城は廃城となったが、江戸時代に黒田長政の三男で5万石を分与され秋月藩の藩祖となった黒田長興が麓の館跡を改修し居城に
名城 私の500名城
主な城主 秋月氏、黒田長興
天守 なし
主な遺構 長屋門(移築)、黒門(移築)、石垣、堀
主な再建物  
交通 西日本鉄道 甘木駅 約7.8km
駐車場 城址そばの有料駐車場など
徒歩・登山 最寄り駐車場〜本丸〜徒歩2分
<個人評価>
総合 遺構 再建整備 知名度 アクセス
歩2分


長屋門

黒門

堀に架かる瓦坂の石橋
構成 筑前国東南部にある標高860mの古処山の南西麓、秋月の町に築かれた陣屋形式の平城。

曲輪はいびつな五角形で、北と西の低地へ向かう部分に石垣による堀を穿った程度の縄張り。

2重櫓および平櫓、計5基があげられた。

堀に架かる大手門下の石橋は、瓦を何枚も縦に並べて土砂の流出を防止したことから瓦坂と呼ばれた。
縄張図
または
現地
案内図
現状 紅葉の名所としても知られる。

城跡は秋月中学校や初代藩主を祀る垂裕神社となっており、神社の神門は以前秋月城の大手門であった黒門(移築)である。

また大手門跡には、城の裏門として使われていた長屋門が移築されている。

水堀や石垣などの遺構が残っている。
略歴
1203年 秋月種雄が古処山城を築城、その麓館として築かれる
  (中略)
1557年 大友宗麟に攻められ、城主、秋月文種が自害
1559年 秋月文種の次男、秋月種実が、毛利氏の支援の元、秋月城を奪還
1567年 高橋鑑種が大友氏から毛利氏に寝返ると、城主、秋月種実もそれに同調、大友氏と敵対、休松の戦で大友方の立花道雪に勝利
1569年 多々良浜の戦で毛利勢が大友勢に敗北したことから、秋月種実も大友氏に降伏
1578年 日向国での耳川の戦で、大友宗麟島津義久に大敗すると、秋月種実龍造寺隆信と結び、再び大友氏に反抗。
1584年 沖田畷の戦龍造寺隆信が討ち死にすると、秋月種実島津義久に従い、大友宗麟に対抗しながら、筑前国豊前国などに36万石を領有
1586年 島津の九州平定戦に乗じ、秋月種実は大友方の高橋紹運の籠る筑前国岩屋城を攻略。(岩屋城の戦
1587年 豊臣秀吉九州攻めで、秋月種実は古処山城を攻められ降伏
  秋月種実日向国高鍋3万石に減封の上移封に。これにより廃城
(中略)
1624年 黒田長政の三男で5万石を分与された黒田長興が、館跡を改修し居城に(秋月藩庁)
(後略)