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2001/8


愛知県宝飯郡小坂井町へ 8/17

  愛知県には名古屋市熱田と宝飯郡小坂井町に徐福伝説が伝わっているといわれています。

近いといつでも行けるというような錯覚があって、これまで行く機会を逃していました。

 8月13日、小坂井町役場で、約束していた北河さんにお会いしました。北河さんは20年ほど小坂井町で教員生活を送った後、平成元年(1989)に小坂井町の教育委員会に入りました。徐福との出会いは、忘れもしないその年の秋祭りの日だったといいます。

その日、郷土資料館に詰めていた北河さんの前に、佐賀の吉野ケ里遺跡で買ってきた本、『弥生の使者徐福-稲作渡来と有明のみち-』(内藤大典・坂井孝之・久冨正美編、1989年)が差し出されました。小坂井町がこの徐福伝説の地図に載っているけれど、徐福の話って知ってるか?そう言われて読んだ、本の中の徐福伝説が初めてだったというのです。

 北河さんは、「昔から語り継がれている徐福伝説というものはない」と言い切ります。それでも徐福伝説がこの地にあったというのは、元祿十年(1697)の『牛窪記』に徐福の渡来を伝える記事があることからです。そして、徐福ではないけれど、中学時代からこの土地と中国との古くからの関係は知っていたといいます。北河さん(御津町出身)の中学生時代、戦中昭和17年(1942)か18年ごろ、友人が小さな声で、「前芝村(現在豊橋)の日色野(ひしきの)には、支那人の子孫がすんでいる」と話したことを覚えていると言うのです。声を小さくしたのは、当時は蔑視があったからのようです。確かにこの地域には秦姓をはじめ羽田・羽田野・波多野(特に多い)姓が多く、「秦氏の先祖は、中国から渡って来たと聞いている。熊野から機織りを教えるために来た。日色野の熊野神社の前に清水が涌き出ている池があって、そこへ船が着いた」という伝承があるようです。

 徐福との関わりが強調される、秦氏ゆかりの神社に兎足神社があります。標高6.86メートルで、よく高潮にやられていたため、秦氏が現在の地へ引越ししたという記録が残っているようです。兎足神社では4月の第2土曜・日曜、「風祭り」が行われます。昔、この祭りには猪の生贄がささげられていたようで、そのために人身御供の伝説もあります。現在は雀12羽がその儀式に使われています。北河さんのお父さんはその雀の捕獲にかかわっていたため、付いて歩いた北河さんは捕まえ方その時期などを良く覚えていらっしゃいました。現在は猟師に頼んでいるようですが、儀式とはいえ、宮司も気が進まないということです。

 というわけで、小坂井の徐福伝説は、外からの声で起き上がってきたことがわかりました。そうした時に拠りどころとなる文献資料。この伝説の創られ方は小坂井だけではなさそうです。

横山光輝さんの漫画『項羽と劉邦』にも徐福登場 8/1

  先日、横山光輝さんの漫画『項羽と劉邦』(文庫版)の1巻、3巻、4巻、10巻の巻末に徐福伝説の地を訪ねる記事を書いてみえる作家の後閑さん、そして潮出版社の方、カメラマンの方と徐福談義を楽しみました。

 というのは、次の11巻の巻末には熊野と伊根の徐福が登場するということで、2泊3日のハードなスケジュールで熊野と伊根を取材されていて、名古屋での乗換えの時間に徐福の話をしましょうということになったのです。

 後閑さんは「ここにはこういうものがありましたというだけの、観光案内的な文章の域を出ていません。もっとも、『項羽と劉邦ビジュアル』という写真がメインの企画で、文章は写真の説明として800字ほどついているだけなので、それほど深く掘り下げることもできません」というメールをくださいましたが、少ない文字数でありながら、各地の徐福の様子が良くわかり、そうそう!と頷いてしまう文章です。後閑さんは関帝廟も追いかけていらっしゃるということですから、そちらをご覧になりたい方は同じく横山さんの『三国志』の巻末をご覧ください。

 さてさて、各地のキーパーソンの話などもしながらそれぞれの地の伝承に盛り上がりました。あっちもこっちもとつままないで、定点での研究をと大学ではいわれるのですが、その重要さをかみしめながらも、いくつも拾いあげていくことで、見えてくるものもある気がします。様々な場所で見られる徐福の伝承は1つだけ見ていると良くわからないけれど、たくさんの資料を並べてみると見えてくることがあるというのが、今日の話の中にもありました。定点研究と様々な比較、そうした組み合わせが、きっとぐっと突き上げてくる何かをみつけられると思います。

 時間はかかるけれど、こうやってさまざまなところに登場する徐福、その一つ一つに注目していきたいと思っています。

 


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