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高瀬川流域常盤周辺と大峰山地の石
==高瀬川常盤岩の石と大峰山地の石==
==高瀬川常盤岩と大峰山地の石==


大町市高瀬川の河原の石と大峰山地の石。(平成17年5月29日(日))

  以下、山の自然学信州講座、北アルプスと河原の石から学ぶ自然学の記録である。後学のために保存しておく。
     ――一部工事中です、何か、気づかれたら、ご一報下さい――
 2005_5_29(日)天気、薄曇。max23℃、min15℃。   
 講師、信州大学理学部地質科学科教授、理学博士、原山智教授。

 1140頃、大町市常盤、高瀬川河川敷の、大町市指定文化財になっている、高瀬川の基盤であるという「常盤岩」周辺で、高瀬川河原の石ころついて勉強が始まった。
写真は、大町市の指定天然記念物である「常盤岩」の岩盤。右手の奥に見えるのは大峰山地である。

 先ず、原山先生の高瀬川の各、石ころがどこの起源かについて解説があった。
写真左は、黒部川花崗岩を軽々と片手で持ち上げ解説中される原山教授。
右は、高瀬川河原の景観。右手の奥に見えるのは上の写真と同じく大峰山地。

 観察のポイント 
先ず、高瀬川の河原の石を観察する。また高瀬川の常盤岩を見て、何が解ってくるか。 
二番目は、松本盆地の東側の山塊の大峰山地には約150万年前の古い時代の扇状地が見え、当時の山から流れて来た砂利が見えるので、現在の高瀬川の河原の石と150万年前の昔の河原の古い石とを比較して観よう。
一番主要なことは、現在の高瀬川には立山黒部アルペンルートの扇沢あたりから籠川と鹿島川が途中から合流している。
 また、高瀬川の流域周辺の地質を概観すれば、殆ど花崗岩であるが、まず籠川・鹿島川の流域にかけては〜200万年前の爺ヶ岳火山岩であるし、〜175万年前の槍ヶ岳は槍・穂高カルデラ火山であったし、槍ヶ岳と三俣蓮華岳の近くには1.4億年の恐竜時代の手取り層群が少しある程度で、これ以外は、殆ど花崗岩である。
 さて裏銀座ルートの足元は花崗岩及び花崗岩質マサを踏みしめて歩く山々である。これらの花崗岩などいろいろの時期にマグマが貫入してきた産物である。最近20年位で火山岩であることが解って来たが、高瀬川の白色系岩石はいろいろの時期のものがあることが解って来た。このようなことで河原の石を見てどこから来たか95%はお答えできよう。
 高瀬川の上流域のどういうところから、石を運んできたかが解ることを頭に入れておこう。
 ポイント1の後、大峰山地に行って、古い地層を見るのだが、ここの礫層を見ることにより、当時の河川との違いが解るのである。礫を観て解るというのが、今日のポイントである。
 もうひとつの見所は、ここ駐車場から300m先に大町市天然記念物の「常盤岩」がある。ここで併せて、河原の石と常盤岩を見て観よう。(資料の東西の地質断面図参照)高瀬川中流域では出ていないが、松本盆地を作った土台「常盤岩」が一枚岩として露出している。これは普通のことではない。
普通は河川は土砂を溜め込む場所で岩盤は見られないが、 なぜか。
 河川の流量の減り、浅い所があるということ。人為的なこととして、高瀬川上流に大町ダム、七倉ダム、高瀬ダムの3ダムが出来たことにより、上流からの土砂の流出が止められて、ダムの下流は手持ちの土砂を流すしかないので、土台の石が現れた。これらの現象は30年前に始めて発見された。それまでは見られなかったことだ。
   さあ、河原に行って観察しよう。
 河原の石から、これは白色系の花崗岩の仲間から出来ている。黒味がかったり縞模様になったものもある。など特徴のあるものもある。
 花崗岩から行く。
 左の写真は、有明花崗岩である。
ほのかにピンク色した長石を含む花崗岩がある。「有明・(表銀座)」と書いたが燕岳〜有明山に分布するが、有明山で標本摸式地のあるので有明花崗岩という。恐竜の白亜紀が終わった6500万年前以降の6300万年前の白亜紀直後(哺乳類の新生代初期)にマグマが上がってきてゆっくり冷えた目で見える鉱物集合体の花崗岩である。「有明花崗岩」という。これが花崗岩の中で最も大きい露出面積を示している。高瀬川流域でも、最も広い流域面積を示している。

 高瀬川には横谷(山脈の伸びている方向に縦断する谷・河川)、縦谷(山脈の伸びている方向に伸びる谷・河川)とあるが、高瀬川は両方がある。入口付近では横谷で槍ヶ岳、三俣蓮華岳、横谷で、北に向って流れている。途中から曲がって東へ縦谷となって流れている。横谷には有色鉱物の仲間の閃緑岩が多い。「閃緑岩」は角閃石鉱物をしばしば含むのでその名がある。
 花崗岩で特徴的なものとして、「扇沢・黒部」は「黒部川花崗岩」と呼ばれ、黒部川に広く分布して欅平周辺、下の廊下、黒四ダム、扇沢、田代川流域、二股川流域まで分布している。黒部川花崗岩には白いところと黒いところがある。本体の白いのは花崗岩で黒い塊が取り込まれている。これが黒部花崗岩の特徴である。これは包有岩と言われる。包有岩は、しばしば見つかるが、学問の先端の課題である。論文によれば、マグマが溶融状態の(700℃状態の)時に玄武岩マグマが花崗岩質マグマ溜りま上昇して来て、ひっかかり(トラップして)花崗岩マグマに取り込まれたらしい。「超火山」の本では「クラゲ」と呼んでいる。これはいろいろの花崗岩の中に明らかに違う色をした塊が点在していてふわふわとした、浮いていくイメージにあるからである。
 黒部川崗岩は約200万年前の貫入した新しいものである。有明花崗岩に比べると、若く、世界の花崗岩の中でもかなり若く、10本の指の中に入るのである。

 更に北アには若い花崗岩で自分(原山先生)が仕事でやった槍・穂付近に出ていて、滝谷花崗閃緑岩は約140万年前に貫入したもので、そのほか、黒部川流域や槍ヶ岳・穂高連峰にもある。(地質年代は人間時間でピントこないので、ゆったりした気分で100万年/1日と間かえると良いだろう)

 次に多いのは火山岩の仲間である。爺ヶ岳・鹿島槍や槍ヶ岳は火山岩が多いが焼岳、富士山、御岳なのどのように火山体の形を残していない。これは古いからである。富士山は1万年前、乗鞍岳は20万年前である。火山の地形は数十万年は形は残るが、それ以上は侵食され形は消えるが、火山が吹いた岩溶(岩火砕流堆積物)や火山灰はもう少し長い間、残るのである。
 さて、槍・穂の北鎌尾根、東鎌尾根から来たデイサイト溶結凝灰岩である。デイサイト=安山岩と流紋岩の中間のものである。溶結凝灰岩は高温で火山灰が固まったもので、槍・穂は殆どこれで出来ている。これが高瀬川の最上部から流れて来たものである。ご苦労さん!と言いたい。

 爺が岳付近は火山灰はないが200万年前はカルデラ火山が活動したのであった。岩石は残っている。見かけは白っぽいいろいろの破片が多く入っている。これは溶岩として静々と流れたのではなくいろいろの物を取り込んで爆発的噴火していろいろのものを取り込んで流れたのであった。爺ヶ岳、ズバリ岳、針ノ木岳にも溶結凝灰岩がある。爺ヶ岳周辺には溶結凝灰岩のほかに真っ当なマグマが固まった溶岩もあり、流紋岩というのもある。







 このサンプルは小さいが爺ヶ岳火山岩の一種で横に縞が見えている。
これは大量の火山灰とやや砂粒サイズの粒子の火山灰交互いに繰り返している。当時のカルデラ湖、カルデラ海の火山灰である。爺ヶ岳南峰と中央峰との間の白沢のコル付近に現れている。こえで何が解るかと言うと、これを追いかけることより、北は北俣本体から南はズバリ岳中心に直径10kmのカルデラがあったことを示している。








 変り種としてここに珍しい蛇紋岩がある。実際ここに来たものか、護岸工事で持ち込まれたかは、別にして八方尾根から来たものである。蛇紋岩は出来方が変わっていて、地下60〜50kmの上部マントル岩が地上に持ち上がってきたもので、地殻変動により持ちあがったのである。マントルのそのもののカンラン岩でなく水が加わって出来た蛇紋岩であるが、地殻変動を起こした所にに見られ土木分野では嫌われている。特にトンネル工事では怖く崩壊しやすく、バンドスレイとかしばしおこしやすいし、植物にも有難くなく、蛇紋岩がMg,Cr,Niを多く含むため、植生は貧困である。逆にMg,Cr,Niを宝石として取り出すことが行われている。八方尾根をしばらく登っていくと木立の森林が復活して一寸見て植生の良いところに出るが、傍に行ってそこを地質は見事に別な岩石である。八方尾根周辺は植生が貧困であるがため、お陰さまである種の高山植物が残こり、その植物が犯されず、生態系が残されているのはその地質のためであると云っても良いかもしれない。

原山先生が手を上げて説明された3個は、上段は、爺ヶ岳火山岩(溶結凝灰岩)、爺ヶ岳堆積岩(カルデラ湖水底堆積岩)で、下段はホルンヘルス(美濃帯/砂・泥源岩)である。
左は爺ヶ岳火山岩(溶結凝灰岩)、右は爺ヶ岳堆積岩(カルデラ湖水底堆積岩)である。
ホルンヘルス(美濃帯/砂・泥岩起源のホルンヘルス)である。

 変わり種(上記写真の下)は、縞模様のはっきりした黒い泥岩と白い砂岩が繰り返してそのまま地層になったもので北アルプスでは南にあたる蝶ヶ岳や霞沢岳に広く分布する。北アルプスでは花崗岩が幅を利かしているが、これらは分布が限られている。山裾に細々と残っているだけである。この砂岩泥岩は小豆(アズキ)色をしている。これは微細な黒雲母鉱物が出来ているためである。そして花崗岩の高熱に焼かれて出来ているホルンフェルスである。この石は山裾の岩石で傍に花崗岩があると読み取れる証拠となっている。
 凝灰岩は火山灰として火口から噴出して爆発力で飛ぶときに他を取り込んだり火砕流として他を取り込んで小さい破片(いわかけ)が、溶岩はこの現象がないので破片は入っていない。

 もう一つの変り種は10万年前後の吹いた安山岩質溶岩である。

鷲羽池付近からやってきた石である。ガスが逃げた気泡の跡が残っている。遠くからお出でになったものである。高瀬川の上流にかけて溶岩が火口から下流に分布している。
 以上のようにいりいろのことが河原の石から解るのである。単なる種類分けだけでなく、地球の歴史の情報を読み取ってほしい。

 常盤岩の上に行って見てみよう。赤茶けた岩盤である。
いろんな色のカケラが入いっている。正体は凝灰岩である。ここから東に見える高瀬川の左岸に大町市の焼却場と送電線の左の白い壁は丹生子(にゅのみ)凝灰岩である。大峰山地と同じものが岩盤として出ている。(真ん中の左の図面で×印参照)常盤岩がここである。河川の土台の岩盤が出ているのは珍しい。松本盆地はどういう盆地の成り立ちに関係するだろうか。
 松本盆地には糸静線が走っている。1500万年前、日本列島は沿海州から離れて南へ南へ移動し、日本海が出来て、西日本は時計回りに廻り、東北日本は反時計周りに回転した。西日本と東北日本にずれが生じてフォッサマグマが出来た。裂け目には北と南とから海が入って来た。フォッサマグマの成り立ちである。
 地の裂け目の海の中に堆積物の土砂が入って来た。先ず、日本海が出来た当時から、南の海が陸になって、北の海は、ゆっくりと、長野県から新潟県に向って海は新潟へ退いて行く。これが信濃川の原型である。

 もう一度、松本盆地の成り立ちを考えて見ると、フォッサマグマの地の割れ目の西側が糸静線である。当時の海の西の縁である。そして海の堆積物は海の土砂がぶ厚く堆積した。よって当時の西側は海が入ってこない陸地であった。
 糸静線が松本盆地のどこを走っているのか。昔から学会で問題になっていた。北アルプスや大峰山地が隆起する過程で廻りの土砂で糸静線は埋め立てられた。その結果として盆地に平ができたのである。周りが上がり、割れ目は沈み込んで出来たのである。どうして沈み込んで行ったのか。学問的に問題であり、常盤岩は重要な証拠の岩盤である。
 フォッサマグマの西側の礫は西側の工場建設時の3本のボーリングの結果、現在、礫となっているところで東、は地下6mの岩盤に達したが、一寸西側はストンと落ちて100mも岩盤がない。いろいろ情報の結果、急な崖の岩盤となって西側は岩盤は600m落ちていることが解った。ここには、大きな断層があるのであろう。互いに沈み込むことにより、松本盆地に土砂が非常に厚く土砂を堆積した。したがってこの断層が松本盆地を作った主役であると言って良いだろう。この断層は活断層かどうか問題になっている。
 松本にはこのほか牛伏寺断層があり、内陸部で始めて地震予知警報が出たが、こちらの糸静線についても本来、こちらの方が大断層ではないかとの見解もある。ちなみに、活断層は内陸部で1000年または4000年も動かないこともある。
 糸静線も本来ここにあるのが、本来の糸静線ではないかという人もいるが、まだ意見の調整が出来ていない。
 そういう意味で常盤岩は松本盆地の成り立ちの証拠として大切なものであり、大町市の天然記念物に指定されたのであろう。

 大峰山の露頭にて

 ここは大峰山地または中山山地と言われるが150年前の河原の石を見よう。標高900m位の山地である。2の(B)は南から見て、右手が東のE、左が西Wで、東側が上位の地層である。
同図のOmnは火山岩で溶結凝灰岩カルデラ火山での火砕流で大峰火砕流堆積岩、158〜160万年前のもの。
Ebsは50kmは流れてきた穂高カルデラ火砕流であり175万年前のもの。
Nygは50kmは流れてきた丹生川火砕流堆積物で176万年前のものである。この時期、同じ火山灰が広域テフラとして見つかっている。
 現在残っている火山灰を推定するとNygは400k㎥が噴出した。これは、7×7×7kmの大規模で数時間の出来事であったと言われる。具体的に富士山6合目の上の部分に当たるという。
 槍・穂高カルデラから噴出した火山灰は、 名古屋〜新潟で60cm、房総で50cm、大阪〜淡路島で30cm層等層を示している。
 房総半島のものは海の地層の記録から解って来た。これらは石灰質ナンノ化石の年代解析で解った来た。淡路島や房総は上空に上がった火山灰であるが、穂高火山Hodaka Andesiteが穂高カルデラから、高山のEbisutoge P.D、松本盆地はSeba P.F.D.ここはLoc AS4は穂高から30kmは運ばれてきた火砕流と火山灰が渾然一体となっているものである。

 さあ、Omn―扇状地―Ebs―扇状地―Nyg―扇状地の露頭を順の観察して行こう。

 Omnにて、溶結凝灰岩の岩石である。

 先ず、大峰山の露頭を見ると、
先ず、露頭を見る。

 露頭をアップで見る。
露頭をアップで見る。

これがおそらく北アルプスの平沢天狗岳水源のカルデラ火山から流れた火砕流堆積物である。右手に柱状に倒れた岩の亀裂が見える。多くの物質が冷えたとき、しばしはできる柱状節理である。ものは冷えるとき縮むから重力のある方向にクラックが開くのは、難しいので、そうではない方向に縮んで割れ目が出来る。右手から左下に走っていて当時の鉛直方向が東に(右手の方に)倒れていて節理の並びから解る。
石質は軽石である。軽石は溶結する過程で自分の重さと熱で隙間だらけの軽石であるからドラ焼きのように潰れた面は柱と直交する方向にあり当時の水平方向である。この水平方向も右側に傾むいている。これらは右側に倒れた証拠を示している。
 河原の礫にも入っていた泥岩、平沢天狗岳の溶結凝灰岩である。火砕流堆積物は凝灰岩であるから手で採取して見よう。いろいろな破片を持っていることが解る。上から見るとぺちゃんと潰されたものがレンズ状に見える。尚ここは採石場である。 
 扇状地にて、厚い層のOmnの下の砂利が入ってくるところと、白っぽい砂の層が繰り返している。また白い層の上に黒い層が載って東に傾斜している。黒いのは先ほどの溶結凝灰岩である。白いところは一連の凝灰岩で溶結作用を起こさなかったところである。良く火砕流堆積物のスケールにはこういう部分がある。白っぽいところより上はOmnの火砕流堆積物である。下は当時の砂や砂礫の地層で火山活動の合間に出来た扇状地の堆積物である。

 先ほどの河原の礫と種類を比較してみよう。
 ここは、花崗岩の割合が少し落ちて、その代わりに砂岩や泥岩やチャートなどが1億数千年前の北アルプスの南部にみられる蝶ヶ岳周辺やその起源の岩石が入っている。時代の違いによる、ほぼ同じ河川の運んだ土砂の違いを示している。

 先ず、ここの露頭を見ると、
先ず、露頭を見る。

 露頭をアップで見る。
露頭をアップで見る。左から、砂岩、花崗岩、チャートである。

 そして170万年前の西側に広がっていた地質帯には花崗岩に加えてもっと堆積岩が沢山あったことを示している。時の流れによる山を造くる地層の違いみたいなものが左の地層に反映されているのである。
 この礫には入っていなくて、河原だけから見つかる岩石がある。例えば、三俣蓮華周辺にある古期の花崗岩は高瀬川の河原に出てくる。高瀬川の源流域は三俣蓮華に達するから入って来てもおかしくは無いが、ここにはない。しかし恐竜時代の手取り層群の以来の礫は入ってこない。これは、当時の旧高瀬川の流れは西まで行っておらず、どうやら当時の扇状地を作った旧高瀬川流域は狭くて蝶ヶ岳、常念岳、燕岳、餓鬼岳につらなる山域に限定されるかもしれない。そして旧高瀬川の横谷部を通っていて奥の流域は違っていたようだ。当時の対向条線部は東側に来ていたのであったかも知れない。 
 露頭に近づいて有明花崗岩とチャートを直接見る。木崎岩という花崗岩がある。
 ここは、80万年前の地殻変動により傾いたところであり、当時の高瀬川である。
山の高さは低かったようであるが、相当の洪水のときの流れであったかも知れない。

 左手に正断層が見える。砂のところは本流から外れたとこのようである。
 尚、この露頭は採石場の跡でたまたまコンクリートが張られず残ったところである。

 Nygの露頭にて、チャージを見る。

 176万年前の火砕流サージ/扇状地砂利/傾いているのは80万年前の活断層により西側が競りあがる上がるように東西の力が働いた。 

 先ず、ここの露頭を見ると、
先ず、露頭を見る。写真左は176万年前の火砕流サージの露頭、写真右は火砕流サージ/扇状地砂利/傾いている様子が良く解る。

 露頭をアップで見る。
176万年前の火砕流サージの露頭をアップで見る。


―工事中、写真追加します、ご期待下さい―



(この項 了)


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