鬼にまつわる エトセトラ

「鬼」を考える。
 
鬼というとどのようなものを思い浮かべるでしょうか?
 まずは、角が生えている。
 そして、トラ柄のパンツを履いている。
  牙の生えた大きな口などなど。。。。。。
 角の生えた鼻と口の大きな顔は、牛を連想させます。
 となると、鬼は、牛と虎を掛け合わせたものであると考えられるでしょう。
 古来より、東北の方角つまり、丑寅の方角は鬼門とされ、災いのやってくる方角とされました。
 丑寅の方角が鬼門であるから、鬼の姿は牛と虎を掛け合わせたものになったと考えられます。
 
 ところで、京の都の鬼門を護るのが比叡山延暦寺となっています。
 この延暦寺の本尊は薬師如来です。
 その梵語名は、オンコロコロセンダリマトウギソワカ。「センダリ」は最下級とかを意味し、不可触賎民の仏になっています。薬師如来は祇園社の祭神である牛頭天王・スサノオノミコトと習合されていました。皇統からはずれてしまった牛頭天王・スサノオノミコトは御霊信仰の祭神であり、ことあるごとに疫病などをもたらし祟る神とみなされていました。そして、それを鎮めるのに期待されたのが、不可触賎民的身分に陥れられた人たちの加持・祈祷です。
 古代日本における不可触賎民は、差別される身分である一方で、敬い恐れられる存在でもありました。
 しかし、江戸時代・明治を通してその役割は軽視されるようになり、蔑視だけがのこりました。

 このような信仰を背景として行われた「鬼ごっこ」は、タッチする際に部落差別等を意味する言葉を発しながらタッチする地域もあったそうです。子どものころ何気なく行っていた「鬼ごっこ」。その意味をふりかえる時間もほしいものです。


 

 

義経と弁慶
 
これは、何の絵でしょうか?

 巨大な鯉にまたがったお侍さんが短刀を向けています。この図柄は、日本全国に分布する山車の装飾品や凧の絵によく使われています。これは、「鬼若丸(一説によると坂田金時・金太郎)の鯉退治」の場面です。
 鬼若丸とは武蔵坊弁慶の幼名だそうです。一見大人にも見えるこの男は、実は大きな子供だったのです。

 この鬼若丸、後の弁慶は、子供の頃から比叡山(一説によると兵庫県姫路市の書写山)に預けられてお坊さんになるべくして育てられていたのですが、腕白この上なかったそうです。ある日、川で身の丈八尺(約2.5m)ほどもある鯉が暴れていると聞き短刀で退治したそうです。

 さて、ここからは私の推測の話になります。「鬼・若丸」はやがて弁慶となり、ご存知「牛・若丸」後の源義経の家来になります。この二人は名コンビとして名高いのは周知の通りですが、この二人が「若丸」つながりなのです。
 しかも、「牛」は「丑」で十二支でいう東北の方角に当たります。東北の方角とは、「鬼」門であり、鬼が入ってくる方角とされていました。しかも、平安の都の鬼門を「鬼若丸」の住んでいた比叡山延暦寺が守護していたのです。牛若丸が幼少期をすごした鞍馬寺は都の「丑の方角」に位置します。
 義経の女性のパートナーは静御前ですが、男性のパートナー
弁慶とは都の東北の寺・若丸つながりで結ばれていたのでした。

 


 弁慶と義経の幼名を足した「牛鬼」は、愛媛県の南部一帯では「悪魔祓い」の練り物として祭礼で練り歩いています。
 「牛鬼」の「鬼」である弁慶が化け物を倒すということは、英雄による悪魔祓いを意味しているのでしょう。


     

    ■素人がアイヌ語から見た「クラムボン」■


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