大滝城
福井県南条郡今立町

本丸跡

推古天皇の頃 大伴大滝の勧請により大滝神社が創建される。
719年 泰澄が大滝寺を創建する。
926年 国太神社が延喜式神名帳に記される。
鎌倉時代 大滝寺は平泉寺の末寺となり、大勢力を持つ。
南北朝時代 南朝方に付き、足利軍の来襲を招いて衰退する。
1575年 朝倉氏により再興されていたが、織田軍が越前に攻め寄せると、滝川一益により焼き討ちにされる。
その後、越前国主 丹羽長秀、結城秀康らにより再興される。
1568年 神仏分離令により大滝神社となる。

土塁。 堀切。 滝川一益あぶみ埋蔵の地。

一益は戦勝を神に感謝するため、手植えの松の根元にあぶみを埋めたという。
あぶみは掘り出され大滝神社の宝物殿にある。



大滝城は大滝寺平泉寺の別当として勢力を持っていた時代に僧兵などが造った城だろう。神社奥宮の近くに築かれた山城だ。奥越の平泉寺も多くの僧兵を持ち、その武力で大きな勢力を持った。南北朝時代は南朝方として斯波高経の軍と戦っている。
1573年の織田信長朝倉義景を攻めた時には織田軍を受け入れている。しかし、1575年一向一揆討伐戦の時には織田軍が攻め寄せ、織田家部将滝川一益によって焼き討ちにされている。
また主郭跡には神木の大杉があるが、この社域には県指定の天然記念物の樹木がいくつもあった。
                                                                (参考. 掲示板)

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山城 (連郭式) ○ (大滝神社)  (大滝神社) ×  遊歩道
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大滝神社
里宮。

大滝神社は推古天皇の時代に大伴連大滝の勧請によって創建された。その別当寺である大滝寺は奈良時代に泰澄の開基で創られた。祭神は国常立尊、イザナギ尊、隣に並ぶ国太神社の祭神は紙梳きの紙川上御前。(今立は8世紀頃から越前和紙の中心として栄え、現在も製紙産業が盛ん。)
中世には、平泉寺の末寺として48の坊舎を持ち、600人もの社僧がいたという隆盛を誇った。しかし南北朝の抗争で朝廷方についたため足利軍に焼き討ちにされ一時衰退する。朝倉氏によって再興されたが、織田軍の滝川一益により再び焼き討ちにされ全山焼失した。その後、丹羽長秀や結城秀康らによって再び再興された。


奥の宮
拝殿。(重文)

1839年に創られた。拝殿と本殿は高さの異なる二つの建物を、複雑な屋根の組み合わせで繋ぐ。
本殿。(重文)

本殿は全面彫刻で覆われている。
奥の院(上宮)。

右隣には紙祖神 岡太神社もある。