サンタクロースの不思議
【北加伊堂】
ブーツの中のトナカイ
20へぇ!
サンタクロースは本当にいるの??
 これはサンタクロースをめぐって交わされた大人と子供の素敵なエピソードです。
 1897年、「ニューヨーク・サン新聞社」に、8歳の少女、バージニア・オハンロンちゃんから一通の手紙が届いたことからそれは始まりました。
 彼女は友達から「サンタクロースなんていない」といわれ、パパに聞いたら「新聞にそう書いてあれば、そうだろう」といわれて、本当のことを教えてくださいと新聞社に手紙を書きました。そして、この質問に対して愛情のこもった歴史的な社説が9月21日、ニューヨーク・サン新聞に掲載されたのです。
 フランシス・p・チャーチ記者は、少女の手紙にこう答えました。
 「そうです、バージニア。サンタクロースがいるというのは、けっしてうそではありません。この世のなかに、愛や人へのおもいやりや、まごころがあるのとおなじように、サンタクロースもたしかにいるのです。あなたにも、わかっているでしょう。世界にみちあふれている愛やまごころこそ、あなたのまいにちの生活を、うつくしく、たのしくしているものだということを。サンタクロースがいないですって。とんでもない!うれしいことに、サンタクロースはちゃんといますし、永遠に生き続けます。これからの千年間も、いや、バージニア、100万年のちまでも、サンタクロースは、子供たちの心をいまと変わらず、喜ばせてくれるでしょう」
 今から100年以上も前に、アメリカの少女が書いた新聞社への質問は、サンタクロースが存在する意味や目に見えないもの、心の大切さをあらためて考えさせてくれます。
クリスマスの始まり
 現在、世界の多くの国では12月25日をイエス・キリストの降誕日として祝っていますが、聖書の中には、はっきりとした記述はありません。
 通説では紀元325年、小アジアのニケアで開かれた公会議で、当時行われていたミトラ教の太陽神の誕生日の祝祭がキリスト教にとっても大事なこの世の太陽である救世主の誕生日をクリスマスとされたのです。
 12月25日は、キリスト教以外の宗教やお祭りにとっても深い関係がある日です。
 当時キリスト教は多様な信仰のひとつに過きず、布教の過程でさまざまな異教と出会い、その祝祭日をキリストの誕生日と同一化していかざるをえなかったのです。ミトラ教の不滅の太陽神の誕生を祝う冬至祭(12月25日)。農耕の神サトゥルナヌスを崇めて豊穣を祈願して盛大な飲めや歌えの陽気なお祝いを繰り広げるサトゥルナーリア祭(12月17日〜24日)などの風習を取り込み浸透をはかりました。
 クリスマスはまた、北欧のユールの祭りからも大きな影響を受けています。
 6世紀後半から浸透を始めたキリスト教ですが、北欧においてもケルト人やゲルマン人が信仰していた神々やその風習をたくみにとりこんでいきました。北国では12月の10〜12日間がユールの日とされ、オーディンやトールの神々を讃えて・収穫物を贈りあい、ユールの丸太を燃やして祝宴を開き、収穫の感謝と太陽の復活を祈る冬至の祭りを行っていました。
 いまでも北欧では、クリスマスをユールと呼んでおり、この冬至祭がクリスマスと密接な関係にあることがうかがえます。
ツリーを飾るのはなぜか
 クリスマスに飾られる木にはどのような種類があるか知っていますか。モミの木、松、ヒイラギ、ヤドリギ、月桂樹、キヅタ等ですが、すべてに共通しているのは常緑樹ということです。常緑樹がクリスマスに飾られるのは、キリスト教より古いローマ時代のサトゥルヌス神の祭りや、冬至祭にさかのぼります。
 なぜ、常緑樹が選ばれたのでしょうか。それは、厳しい冬の暗い闇の恐怖と戦い、闇を追い払うために、人々は死につつある太陽を元気づけるために、火を燃やし、大地のなかの種子が生き続けていることを示すために、永遠のいのちのシンボルでもある常緑樹を飾ったのです。
 今日、飾られるクリスマス・ツリーの原型は、16世紀のドイツにはじまったとされています。
サンタクロースの起源
 サンタクロースのルーツは4世紀の聖人、聖ニコラスとされています。
 聖ニコラスは、裕福で敬虔なキリスト教徒の家に生まれました。彼はやがて成人し、数々の善行を施してミュラの司教になりました。
 聖ニコラスは、さまざまな奇跡をもたらして不幸な人々を助けたことから、子供・乙女、船乗り、学生、パン職人、肉屋等の守護聖者として人気があり、尊敬されたのです。
 有名な伝説の一部を紹介しましょう。
 貴族出身でかつては富裕だった父親が3人の娘とニコラスの近隣に住んでいました。財産を失い貧しい生活のため、父親は娘たちを結婚させることができませんでした。そこで、長女を身売りして妹たちの結婚資金を作ろうとしていたところ、これを知ったニコラスは、夜ひそかにその家の煙突から金貨を投げ込みました。金貨は暖炉に干していた靴下のなかに入っていたそうです。ニコラスは2日目の夜、3日目の夜とくりかえし金貨を投げ入れ、3人の娘は結婚できたのです。
 ヨーロッパ各地では、この聖ニコラス祭が12月6日に行われ、クリスマス前の重要な行事として今でも人々に親しまれています。オランダでは聖ニコラスをジンタ・クロースと呼び、13〜14世紀頃からこの日を「ジンタ・クロース祭」として祝いました。子供たちにプレゼントを配りにくる聖人を迎える伝統行事として、17世紀にはアメリカに植民したオランダ人が、現在のニューヨークでこの「ジンタ・クロース祭」を行い、英語読みのセント・ニコラスが18世紀にはサンタクロースとして呼ばれ始めました。つまり、アメリカのニューヨークがサンタクロースの生誕の地となったのです。
サンタクロースのイメージカラーは『赤』
 サンタクロースは4世紀の聖人、聖ニコラスを起源としています。
 司教の正装の司教服は
「赤い色」で、司教は自分の命を投げうってでも人々の幸福に尽くすことが使命であり、その覚悟を示す色として司教服を血の色である「赤い色」とキリスト教では定められていました。
 聖ニコラスを象徴する色であった
「赤い色」ですが、司教服がサンタクロースの衣装に変わってもそのイメージカラーは変わりません。それは、「赤い色」はニコラスの「庇護や慈愛」を示すものであり、「愛や幸福」を願う人々にとって永遠の象徴ともいえる色であるからなのです。
現代版サンタクロースの登場
 わたしたちが思い描く現在のサンタクロース像の原型は、1822年にクレメント・クラーク・ムーアというアメリカの神学校教授が自分の子供たちのために書いた「セント・ニコラスの訪問」という詩のなかから生まれました。クリスマスの前夜にセント・ニコラスことサンタクロースがやってくる楽しい光景が綴られています。
 クレメント・ムーアの書いた詩には、「みんなが寝静まるクリスマスイブの夜に、八頭のトナカイがひく小さなソリに乗った小がらで陽気なおじいさんがやってきて、背中のふくろにいっぱいのおもちゃをかかえて煙突から暖炉を抜けて飛び出した・・・」と、これまでロバに乗った聖人ニコラスと違った姿が描かれており、「いたずらっぽく目が光り、バラ色のほおにえくぼが二つ、鼻はサクランボのようにぷっくりし・・・まあるい顔で、笑うたびに突き出たお腹がぷるんぷるんよく動く、ほんとにゆかいな小人のおじいさん」などと、本当にリアルで愛敬のある好人物像が、アメリカで新たなセント・ニコラス・サンタクロースとして誕生しました。
 やがて、この詩集が1894年、絵本となってアメリカ全土に普及していきますが、最初の絵本の挿し絵を書いたのは、テオドール・C・ボイドで当時のサンタクロースは小人の姿をしていました。さまざまな人がイラストを描きましたが、最も現代のサンタクロース像のイメージに影響を与えたのは、トマス・ナストが描いた1863年の「ハーパーズ・イラストレイテッド・マガジン」への挿し絵でした。また、サンタクロースの仕事場は北極圏にあることが、彼の作品のなかで初めて登場しました。
 ナストの作品以降、サンタクロースという呼称だけが使われるようになり、セント・ニコラスは別の人物として、両方が並記されることはなくなりました。こうして、威厳のある守護聖人像から離れ、陽気なアメリカ生まれのサンタクロースが誕生し、以前にも増して世界中のだれからも愛される存在となったのです。ちなみに、サンタクロースの背丈が大きくなったのは、1930年以降でした。コカ・コーラ社がハッドン・サンドブロムの描いたサンタクロースを採用したのがきっかけです。等身大の人間味あふれるキャラクターの登場は、サンタクロース人気をいっそう加速化していきました。
 しかし、忘れてならないのは、サンタクロースが19世紀に忽然と創造されて登場した人物ではないということです。いにしえの人々が「冬に贈り物を贈り合う」という風習を通して、自然への畏敬と厳しい冬を乗り切るための勇気、励まし合い、生きることの喜びを共有する大切なコミュニケーションが、多くのギフトブリンガーの歴史を経て彼に生命を与えたことです。それは人間として生きていくために必要な、世代を超えて伝えていかなければならない「愛と平和、感謝と奉仕」の精神であり、それがサンタクロースに託されているのです。
 サンタクロースが伝える精神をわたしたちが忘れないかぎり、サンタクロースはみんなの心のなかに生き続け、毎年素敵な贈り物を届けてくれるでしょう。
 その贈り物は「愛」です。
サンタクロースの故郷はどこ
 サンタクロースは、はるか北の北極圏に住み、クリスマスイブの夜には八頭立てのトナカイの引くソリに乗って、世界中の子供たちにプレゼントを配って回ることで、世界中にそのイメージは定着しています。
 そのサンタクロースの故郷はどこでしょうか。雪が降りつもり、トナカイの住む北欧の国々が自然にクローズアップされてきます。ノルウェーをはじめフィンランド、スウェーデンなど北欧を中心にその存在が言い伝えられており、いつしか、世界中の子供たちからサンタクロースにあてたクリスマスカードが届くようになりました。
 それぞれの国では、子供たちから寄せられた手紙に返事やクリスマスカードを送って、子供たちの夢を育んできました。そして、サンタランドと呼ばれるサンタクロースの故郷が北欧の各国に生まれました。現在、ノルウェー・フログン、フィンランド・ロバニエミ、スウェーデン・モーラに、それぞれサンタランドがあります。
クリスマスカードの歴史
世界中の人々が送り合うクリスマスカードの習慣は、いつごろから始まったのでしょうか。起源はそれほど古くはないようです。
 クリスマスカードは1843年、イギリスのヘンリー・コール卿が最初に作ったとされています。画家であるJ・C・ホースレーにカードデザインを依頼してリトグラフ版(石や金属版を便った版画)で3枚のパネルからなるカードを製作しました。
 当時、イギリスの学校授業でクリスマス休暇を前に、生徒たちが美しく印刷された紙を使いクリスマスと新年のあいさつやよい子であったことなどをアピールする習字作品を書き上げる「クリスマス作品」という習わしがありました。子供たちはそれを家に持ち帰り、親に渡してクリスマスには素敵なプレゼントがもらえることを期待していました。この慣習からクリスマスカードは誕生したのです。しかし、クリスマスカードの普及とともに1856年頃には、学校における「クリスマス作品」の創作はなくなりました。
 アメリカでは、1875年にルイス・ブランクが初めてカードを印刷しています。カード印刷もさることながら、彼の最大の功績は全国レベルでのクリスマスカードのコンテストを実施したことでした。これにより、カードの普及は一段と進みました。

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