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紫雲寺記念公園オートキャンプ場

 

(新潟県新発田市)
 




 

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新潟東港 藤塚浜護岸帯〜次第浜(加治川河口右岸) 

A付近(海水浴エリア)  B付近(オートキャンプ場前)

  
詳しい地図で見る

 

 
バーベキューコンロ


木炭


着火剤


木炭ばさみ


火起こし器


焚き火台


火消しつぼ


タープ


テーブル

 
クーラーボックス


ハンギングネット


焼き網ブラシ


LEDランタン


水タンク

 

  

A付近(海水浴エリア)


A付近の駐車スペース。とても広い。

 

 
浜付近はよく整備された公園となっている。左写真はトイレ。

 

 

 

 


ここが海水浴エリア。

 

B付近(キャンプ場と、キャンプ場前の海岸)

 

 

 

 

 

 

 

 

浜の右手から左手へ。


キャンプ場右手は藤塚浜海水浴場。

 


オートキャンプ場前の海岸は遊泳禁止。

 

 

 

 

 

 


サンシェード


のぞきメガネ


レジャーシート


マリンシューズ


フットポンプ

 
管理人の防水デジカメ
LUMIX FT2

 

・「海辺のキャンプ場で、なおかつサイトが芝生敷き」という好環境のキャンプ場は、新潟県内でもそう多くはない。そのひとつがこの紫雲寺記念公園オートキャンプ場。ほかには和島オートキャンプ場大潟キャンプ場などがある。 海辺にあることもあり、海水浴シーズンにぜひ利用したいが、オートキャンプ場の前の海岸(上記地図B)は遊泳禁止。海水浴は、上記地図のAか、藤塚浜海水浴場で。

・上記の通り、オートキャンプ場の前およびAは広々とした海岸があって投げ釣りが楽しめる。根掛かりもはほとんどない。ただ、オートキャンプ場前は砂浜は削られていて狭くなっていることも。当然ですが、海水浴の人がいるところでの投げ釣りはやらないようにお願いします。

・よく整備された公園の浜なので、ファミリーでも気軽にキス釣りが楽しめるはず。ピクニックがてら出かけても楽しいと思う。A付近は整備されたトイレもある。新潟日報の釣り情報で新潟東港、村上などでキスが釣れるシーズンなら釣果が期待できる。オートキャンプをする向きも、ぜひ投げ釣り道具を持参なさってみては。

・公園内には「紫雲の里」という温泉施設もある。

・近くの釣具店としては藤川オートさんがある。「海水浴に来たついでに釣りをしてみたい方は、竿を無料でお貸ししていますので、お気軽にお申し込みください。 」という太っ腹!

 

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・ちなみに、「紫雲寺」という地名の由来についてであるが。

 黒川村(現胎内市)の塩沢・塩谷付近で、その昔は塩のかたまり(土塩)が産出していた。

(現在の胎内市塩沢付近の地図。塩谷という住所は現在はなくなっているようだ。)

 塩沢・塩谷でとれた「塩」を運び出した「津(港。港と言っても川の港である)」が「塩の津」と呼ばれ、地名が塩津、その付近の潟が塩津潟になった。古地図などでは「しうつ」、「シホツ」などと書かれていることから、現在は「しおづ潟」と呼ばれているが、「しおつ潟」が正しい呼称ではないか、とのこと。塩は荒川港や新潟港まで川で運ばれ、会津藩などに売られていた。

(現在の胎内市塩津付近の地図。塩津の右には船戸、小舟戸、戸野港など、河川舟運の船着き場由来の地名が見られる。)

 「塩津潟」(塩津、しうつ、シホツ)は、古くから呼ばれ親しまれてきた地名だそうである。下記の古絵図等が史料として残っている。

 康平の絵図(1060年)、高井道円 時茂 譲状案(1277年)、正保二年越後絵図(1645年)、

 元禄十三年越後国蒲原郡岩船郡絵図(1700年)、日本輿地図(1756年)、新刻日本輿地路程全図(1779年)、

 増修定本新刻日本輿地路程全図(1791)、諸街折絵図(1821年)、越後国絵図 下(1822年)、国郡全図(1837年)

 日本全図(1852年)、大日本海陸全図(1863年)、明治道中大絵図(1879年)

 など。
 

 ところが、この塩津潟を「紫雲寺潟」と記載した史料が少数ながら存在する。寛治の絵図(1089年)、享保の絵図(1721年)などがそれだ。

 

 上記の通り、歴史的には「塩津潟」という名称で呼ばれてきた潟が存在していた。「紫雲寺潟」という呼称はごく少数であるようだ。特に、「塩津潟」と記されている「正保二年越後絵図」と「元禄十三年越後国蒲原郡岩船郡絵図」は徳川幕府の命令により製作されたものであり、重要な史料である。

 

 さて、塩津と紫雲寺の関係であるが。

 「塩津」という地名は、地元では「ションヅ」「シォンヅ」と呼ばれていたそうだ。いつの頃からかそれがなまって、発音に近い「紫雲寺」という字が当てられたのではないかと見られる。塩津が紫雲寺の語源というわけだ。

 「紫雲」とは仏教用語で念仏を行う者が死ぬとき、仏が乗って来迎するとされる雲のことである。「紫雲寺」とはなんとも霊験あらたかな雰囲気を醸し出して由緒ありげな字面ではある。

 念仏を唱えれば誰でも極楽浄土へ行けるという教えは、法然と、その弟子である親鸞が始めたものであるが、旧仏教の者たちからは疎まれたため、親鸞は越後国国府(現在の上越市付近)に流罪となった。

 その後、親鸞が布教活動を行うに連れて越後には浄土真宗が広まることになるのだが、この紫雲という言葉も、そうしたことと無縁ではないだろう。

 


 歴史的には公式に「塩津潟」と呼ばれていた潟であるが、1730年頃からの新田開発の文章に「紫雲寺潟」という記述が現れるようになる。幕府への干拓の願書は「紫雲寺潟」として、1726年に出されたようだ。なぜかこの頃から紫雲寺潟と書かれることが多くなった。この辺の理由はいまだにはっきりとしないらしい。

 1735年(享保20年)には紫雲寺潟の干拓が完了し、その地名が紫雲寺となった。そのため、紫雲寺は「紫雲寺潟を埋め立てた地名」という説が定着してしまったと見られる。ただ、現代に至るまで地元の者でも「塩津潟」とも呼んでいたというからややこしい。

 

 塩津潟が正式名だったとはいえ、紫雲寺潟という呼称がまったく存在しなかったわけでもないのだろう。

 要は、塩津潟=紫雲寺潟だったわけだ。

 おそらく、1700年代の初めまでは、
 

 塩津潟紫雲寺潟


 というような存在、呼称のされ方だったのではないだろうか。

 ところが、紫雲寺潟として干拓された1730年頃を境にこの関係が逆転してしまい、以降現代に至るまで
 

 塩津潟 紫雲寺潟
 

 という存在感の違いになってしまったのではないか。


 現在では、紫雲寺潟は「塩津潟」であったという認識が、社会に定着しつつあるようだ。
 

 

 紫雲寺町は2005年5月1日加治川村とともに新発田市編入し、歴史を閉じた。

 

 上記の内容については、こちらの資料を元に、私の考えも若干加えてまとめさせていただきました。
 


塩津潟は塩の道/伊藤國夫

〜本書の紹介文〜

「塩津潟」の名称は、いつ歴史から消えてしまったのか? 紫雲寺潟と呼ばれている呼称に疑問を持った著者は、50年にわたり「塩津潟」の研究に打ち込んできた。「塩津潟」の復活を説いた渾身の一冊。


・著者の伊藤 國夫さんの運営サイト : 塩津潟の由来


 (紫雲寺という地名の由来 : 記 2010/4/27)

 


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