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再び、ハイナー・ミュラーへの「読み」と「探り」
 2003年秋、「ハイナー・ミュラー/ザ・ワールド」(HM/W)が18団体の参加によって開催された。そのさい、「ポストドラマ演劇」の著者でミュラー研究の第一人者であるハンス=ティース・レーマン氏は、日本のミュラー上演の「パワー」について言及し、本国ドイツですら忘れられつつあるミュラーが、日本ではかくも受容されていることに賛辞を惜しまなかった。わたしは別段ミュラーが日本に「向いている」とは思わない。が、閉塞感の強まる現在の日本社会にあって、ミュラーのテクストが持つ前衛的な形式は、やはりなにがしかのシンボル性を有しているのではないだろうか。危機の時代が要請する符蝶のようにも思えるのだ。
 HM/Wから3年経って、また新たな切り口をもってミュラーが召喚されようとしている。一段深い「読み」と「探り」がミュラーのテクストに刻みこまれていくに違いない。
                                                西堂行人(演劇評論家)



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ハイナーミュラー(1929〜1995)
 東ドイツの劇作家兼演出家。戯曲「ハムレットマシーン」(1977)とともに世界の演劇人にその名を記憶されている。ブレヒトに学び、将来を嘱望されていたが、1961年に「移住者」が党から上演禁止処分を受けて以後、東ドイツでは80年代初頭まで彼の作品が上演されることはなかった。
 しかしこの間、西ドイツやフランスでの上演を通して、そのペシミスティックな言葉の力と、ギリシャ悲劇からマンソンファミリーまでの様々な素材を作品に込める壮大な歴史的構想力でヨーロッパを代表する劇作家としての高い評価を獲得。その評価に後を押されるようにして80年代には東ドイツでの活動が認められ、もっぱら自作を演出するという形で演出活動も行うようになる。
 彼が演出した舞台の中では、1989年のベルリンの壁崩壊後に演出した7時間半の「ハムレット/マシーン」(1990)が特に有名。東ドイツが消滅して以後は、ベルリーナ・アンサンブルの共同監督に就任(1992)。1995年癌で死去。