入江脩敬

入江脩敬。平馬と称す。字は保叔。東阿または龍渚と号す。

元禄十二年(1699)生。安永二年(1773)没。

伝記

○明治前日本數學史(藤原松三郎,1954)

[2篇1章6節(3)・83~84ページ]

 入江脩敬、通稱平馬、字は保叔、東阿または龍渚と號す。後脩敬を縮めて脩とのみ署している。元祿12年(西紀1699)に生れ、安永2年(西紀1773)に歿す。年75。

 父傳右衞門は播州明石侯に仕ふ。脩敬は初め大島喜侍に學び、後中根元圭の門に入る。喜侍に學んだのは明石においてであらう。ついで江戸に出でて家塾を開いたが、後大坂に移りて帷を垂るること8年、寬延2年(西紀1749)51歳のとき、有馬賴徸に聘せられて久留米藩の儒臣となつた。山鹿流の軍學、天文學の師範であつた。食祿200石、安永2年歿するまでその職に止まつた。藤田貞資が久留米藩に聘せられた明和5年は、脩敬の歿する5年以前である。

○増修日本數學史(遠藤利貞,1918)

[元文4年(1739)・288ページ]

四年(一七三九)入江修敬中學算法の答術を施して一書を著はし、名けて探玄算法と曰ふ。卷末に新題若干問を附記せり。且同題言五條を編す。[下略]

入江修敬平馬と稱し、龍渚と號し、又東阿と號す。少うして算學を好み、曾て浪花に在りて大島芝蘭に就き算學を修め、後洛に入り中根元圭を師とす。輓に江戸に出でゝ幸田親盈の門に入り、終に大に關流の奧に通ず。實に關流内建部派に於ける錚々たるものとす。又儒學を善くす。同氏元來多識なり。山鹿流の兵學を善くし門人日に多し。篠本守典、中村安清、武田濟美、井上矩慶等其名あり*。後久留米侯有馬中務大輔に仕へ、同藩内に功少からず。修敬も亦中學算法の答術を著し、卷末に新問九條を附加せり。題して探玄算法と曰ふ**,***。

一の中學算法發刊してより、之れが答術を施して上木するもの同時に三書あり。遺題答術の書此時を以て盛なりとす。荒木村英が門世人の屬目すること亦知るべきのみ。

* 井上は肥後の算師で牛島盛庸の算學小筌(寬政六年)に序す。井上は東渚と號す。(林)

** 机前玉屑に曰く、修敬、後ちに字を保叔と云へり。その父宗喜、播州明石侯に仕へ、修敬もまたこれを繼ぐ。寬延二年六月、久留米藩に仕ふ。著書に天經或問註解、神武精要等あり。安永二年六月十四日没すと。また一源活法の撰あり。探玄題言にも自から學歴を略記せり。(三上)

(平山注)修敬に古今天學家傳の著あり。日本学士院に現存す。

*** 机前玉屑は、遠藤利貞の雑録を岡本則録が整頓して一書としたものである。(平山)

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