遺された母のメッセージ
■私の母親は1923年生まれで、1980年1月23日早朝、近所に出かけていて狭心症になり、その日の夕方、心筋梗塞であえなく他界した。写真は亡くなる2年前の正月、母と初めて伊豆に旅行した時に写したもので、花が好きだった母のありし日を偲ばせてくれる。

 父の追憶を書いて、ついでに母の思い出も書きたくなった。私の母は1967年に夫と死別、四十四歳で未亡人になり、その時、私は十九歳、弟は十七歳、妹は十四歳であった。
 まさに育ち盛りの子供三人を遺された母の心境を察するに忍びがたい。
 最近、母の遺品を片付けていて、ノートの走り書きを見つけた。そこには母の痛切な思いが書いてあった。父の死後、六カ月後に書かれたものである。原文通りに記述する。
 「お父さんがどうして死んだのか自分ながら時々わからなくなります。今の所ただただ子供のために一心です。考えると涙が出るばかりです。一年前私が、此の様になるとは夢にも想像もつきません。主人も本当にはかない人生だった。あんなに一生縣命働いてくれたお父さん。私の事、子供達と最後の別れは苦しかっただろう。其れを考えると、子供達を立派に育て上げ成長させる事が主人に尽くす最大の私の責任だと思っています。もう其れより考えられません。どうぞお父さん、家をおまもり下さい。私もがんばります」
 その年の暮れには
 「毎日お寒い今日此の頃、何の事なく夢中で、おもちゃやで働いて居る私です。暇があると、自分ながらどうしてと、考え出さずにはいられません。謙次はじめ子供達も良くやってくれるので、私がぐずぐずして居られない気持ちでございます。一日働き日給を貰い、食料品を買物して家にかえるのです。師走の冷たい風がほほをなでます。ああと気がつき、お父さんが後で一生懸命やれ、又、今には、どうにかなると、はげまされる様で御ざいます。三人の子供のために、母親として、やらなければと、自らに言い聞かせる様に、常に苦しい事をおさえて居ります」
 翌年の暮れには
 「夢の間に昭和43年も終わりに近づきます。今年は1月より明治生命に行き、もうすぐ一年立ちます。はじまりは、つづくかと心配して居るやに仕事にも馴れ、やはり、私の様になると家に居るより働いて居る方がたのしみがあります、何より自分を、早く元の気持ちにもって行く事が一番大事だと思います。時々考えると自分がわからなくなり、一人でなやむ時もあります。苦しいどうしよう、誰かに此の気持ちを話したい、誰もいない。つくづく人生ってこんなものかと、一人でつぶやく事もあります。又、子供も私の気持ちがわかり可愛想になります。子供のために大いにがんばらなければと、又思いなおす事もあります。唐沢様の奥様には本当にお世話になっています。子供達、忘れてはならない。一人前になったら、かえしてくれ。うれし涙がでます。何だか申し訳なくて、たまらない。ありがとう御ざいます。心よりお礼申し上げます。又、良い事が目の前で待ってますよ、もう少しの辛抱だ、がんばれがんばれと、お父さんが力づけてくれます。良い事ばかり、来年は元気でやろう、はりきってと、自分に、言い聞かせました」
時期を変えて遺していた母の三通のメッセージ。 
 その母も、父の十三回忌をすませた翌年、1980年1月23日早朝、近所に出かけていて狭心症になり、病院診断後に家に帰されて自宅で休んでいた。その日の夕方、妹に看取られ、心筋梗塞であえなく他界。享年五十七歳であった。朝食を一緒にとった後の出来事で、最期はまことにあっけなかった。
 そのころ、父の遺志で建築したアパートに隣接して、高層マンションの工事が始まっていた。そのためにアパートが日影になり、資産価値が下がることを母は心労した。
 亡くなる前年、初めての海外旅行で母はハワイへ行った。弟や妹も結婚し、生活にもようやくゆとりが出てきたころであった。
 父も母も最期まで家族の幸せを願って、早世した。私は亡き両親の努力に感謝し、兄弟仲良くと言う教えをモットーに生きている。

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