シンガポールでの再会
■ヨルダンのペトラ遺跡の中で、ラクダに乗って家路に急ぐベトウィンの家族に出会った。

 ヨルダンの首都アンマンを出国した私は、アラブ首長国連邦のドバイ空港内で一泊し、1998年5月8日午後10時、シンガポールに到着した。
 東燃社員の木村さんの自宅へ空港から電話をした。日本から電話をいれた時に「その日は旅行に出かけているかもしれない」と言ったが、その彼が電話口にでて、安心した。
 5年前に南米のイースター島で彼と知りあって、時どき、旅行の情報を電話で交換する仲である。三十代の彼は2年前からシンガポールに単身赴任している。
 私がタクシーで行こうとしていたら、彼は乗り合いバスを勧めた。空港地下内のバス停留所から市内に向かい、50分ぐらいでスタンフォードハウスに着く。
 待ち合わせ場所に指定したエクセルシオールホテルまで歩いて行く。彼とは一緒の写真を撮っていないので、私には彼の面影がない。
 入り口近くにロビーがあった。テーブルをはさんで、アベックの反対側にTシャツ姿のひとりの日本人が腰かけていた。
 私が名前を告げると、彼はわかったようだった。私の髪型の変化を察して「永六輔のようだ」と言った。
 彼は土産の入った段ボール箱を持ってくれた。運河沿いに15分ぐらい歩いて、彼のマンションにたどり着いた。入り口にはガードマンが詰めていた。
 部屋の中には無造作にビン類がゴロゴロしていて、ひとり住まいを感じさせた。イースター島で一緒に食事をした時、レストランで出された私のワインまで飲んで、彼は酔っ払っていたのを思い出した。
 私は喉が渇いていたので、冷たい飲み物を希望したが、用意していなかった。お湯にティーバッグを入れて飲んだ。
 彼は外食しないで自炊し、昼食は会社近くの屋台でとり、生活を切りつめている。三十万円の家賃は会社が負担している。
 休日は家でゴロゴロしているそうだ。時どき中華街まで歩いて行ったり、マンションにあるプールで過ごしている。
 お互いの趣味は海外旅行なので、話題はその方に移る。「日和佐さんの海外渡航国数は50を超えたのでは」と言った。
 かつて南米旅行していたころを彼は懐かしんでいた。最近は近隣諸国のタイ、カンボジアに行ったそうだ。 彼はゴールデンウィークに日本に帰省したが風邪を引き、今回のバングラデシュ旅行をキャンセルした。
 話が一段落すると、彼はシャワーを勧めた。温かな水滴が体全体に伝わって、つかの間であったが長旅の疲れをいやした。
 洗面台にはボロボロになったタオルが干してあった。品物を最後まで大切に使う彼の姿を見て、熱く胸が打たれた。
 広間の一角で、インターネットで日本のニュースを覗いていた。「細川さんが政界を引退した」と、私に教えてくれた。日本の友達とは電子メールで交換している。
 午前2時ごろに床につく。パジャマも用意してくれたが、使わなかった。前日はドバイの空港内の床で寝たので熟睡できなかったが、その日はクーラーの利いた中で安眠した。
 翌日は午前6時に目が覚めた。スコールのような雨が降りしきっていた。彼は気を利かして、昨日のバス停まで車で送ってくれた。
 エルニーニョ現象の影響でインドネシアで森林火災が起きたりと、今年のシンガポールの天候も不順だそうだ。
 海外勤務をしている日本人は優雅な生活をしていると私は思っていたが、彼の現実を垣間見て参考になった。
 彼は赴任中に貯蓄をして、大好きな南米へ行くことを楽しみにしていた。
 旅先での出会いで友達になり、泊まることができたわけで、これからも出会いを大切にしたいと思った。

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