クスコでの災難
■インカ文明の代表的な空中都市マチュ・ピチュ遺跡。この遺跡を見たくて,クスコに向かったのだが。

(撮影 林 和徳)

 1993年1月2日早朝、私は南米ペルーのチチカカ湖畔のプーノから列車に乗り、12時間かかって午後8時30分ごろ、クスコへ到着した。人込みの駅頭のなかをかき分けて、地図を片手に、宿屋を目指した。
 駅を出ると、私は異様な雰囲気を感じた。私の行動をうかがっているような視線を無視して、まっすぐに延びている通りを百メートルくらいした所で、スポーツウェア姿の大柄の青年に道を尋ねようと寄って行った。でもその青年は飲酒の匂いがしたので尋ねるのをやめ、駅の方向へ引き返した。
 先ほどの通りと平行の通りを再び、私は歩いた。市場に突き当たったので左折し、十字路を市場に沿って、両側に歩道のある道路の真ん中を歩き始めた。その中ほどくらいまで来たら、2人組の頑強そうな男が走り寄って来て、いきなり私の首を羽交い絞めした。一人は先ほど道を尋ねようとした青年だった。
 それは一瞬の出来事で、私は「あー、あー」ともがきながら、気絶した。目が覚める時は、柔らかい布団の夢心地のなかから、朝起きる時のような不思議な気分だった。それが現実を知って、信じられない気持ちになった。
 私は泥水の中に放り出されていた。静かな通りであったのが、40人くらいの群集が集まって私の周りで何やら騒いでいた。
 次第に私は事件の重大さに気づき始めた。リュッククサックが無くなっていて、その中にはパスポート、航空券、現金五十万円、土産などが入っていた。上着の財布も無く、手帳の中の名刺も抜き取っていた。
 傍らにいた人に頼んで警察へ連れて行ってもらった。観光警察署はアルマス広場に面した二階にあり、すぐに、犯罪者の顔写真の綴りを私に見せた。1時間前のことなのに、私にはペルー人が皆同じように見えて、判別できなかった。現地ガイドの中沢さんが駆けつけて来て、通訳をしてくれた。
 帰りぎわに、神にもすがりたい気持ちで、床に手をついて私はお願いをした。政治家がよくやるあの姿だが、この国の警察はいい加減だと思った。
 3日後に警察に行ったら、パスポートだけが届けられていた。アルマス広場のアイスクリーム売りの子供が届けたそうだ。偽造パスポートが横行しているために、見つかるというのは珍しいと言っていた。犯人グループは3人組で、一人は車を運転していた。彼らは1週間前に刑務所を出所したばかりとのことだった。警察は私に「貴方は金持ちの国からの観光客だ。この国は貧しいので恵んであげたと思って下さい」と言い、盗難証明書を書いてくれた。私の隣にはオーストラリア人の観光客がいた。彼は道路を歩いていてコインを拾ってやっているスキに荷物を盗られたとのことだった。一日一件くらい泥棒のカモになる観光客がいるようだ。
 私は念願のインカ遺跡のマチュピチュを見ずに、旅行途中でクスコを去った。強盗に遭った時は恐怖で一杯だった。私にスキがあったために強盗に遭ったのだと思うが、現在の私はペルー人を恨む気持ちはなく、自分自身を責めている。強盗は一人旅の観光客、日本人は標的だそうだ。私のお金で彼らの10年分の生活費にあたる。
 最新号の「地球の歩き方」を見ると「クスコ駅周辺はとても危険だ。荷物がある時はもちろん、絶対に歩かないこと。必ずタクシーを使うようにしたい。スリや暴漢に遭う被害が起きている」。私の被害が生かされているようであった。
 海外旅行は楽しさと災難が紙一重だということを初めて知った。クスコ滞在中、現地の日本人にいろいろと世話になり、久しぶりに人の情けを感じた。また、いつの日か、必ず見残したマチュピチュへ行って見たいと思う。まだ今は行きたくありませんが。

< BACK   HOME   NEXT >
Copyright(C) 1999/7-2004/10 Kenji Hiwasa. All Rights Reserved
◎ご意見・ご感想はこちらまでお願いします。 e-mail:hiwasakenji@yahoo.co.jp