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1999年12月10日午前10時半ごろ、滞在していたワイキキの宿屋を出て、乗り合いバスでアラモアナショッピングセンターに向かった。
今までホノルルマラソンに3年続けて来て、パールハーバー、ダイヤモンドヘッド、ハナウマ湾、ビショップ博物館などの、ワイキキ近郊の主要なスポットを観光した。前々から、オアフ島北部にあるポリネシア文化センターにも行って見たかったが、実現できなかった。
ご承知のように、タヒチを中心にしてハワイ、ニュージーランド、イースター島を結ぶ一辺八千キロの大三角形の海域をポリネシアントライアングルと言い、日本の天皇制は、これらの島々でかつて残っていた首長制につながるそうだ。
ポリネシアは、西サモア、アメリカ領サモア、トンガ、クック諸島、トケラウ、ニウエなどの諸国と、無数の島岨からなる。
アラモアナからバスを乗り換え、文化センターのあるライエには正午ごろに着く。ほとんどの観光客はツアーで訪れるので、私以外にはアメリカ人老夫婦二組だけが下車した。
入り口で入場券を支払って、閑散とした園内を歩き始めた。園内には運河が張り巡らされており、サモア、マオリ、フィジー、ハワイ、マルケサス、タヒチ、トンガなどの家並みが再現してあった。
運河沿いの道路を進んで行くと、マルケサスの部落に突き当たった。傍らの小屋の中で、観光客に差し出す食べ物を、大柄で小太りの五十歳ぐらいのおばさんが調理していた。
私が近づいて行くと、彼女は試食を勧めた。ジャガイモに似た味で、トンガで常食されているタピオカを蒸かしたものであった。
彼女の名はヘイララさんと言って、1985年にトンガから移住し、ここで働いているという。現在はアメリカ国籍を得ているが、その間に二回帰国したそうだ。
作業を終えると、近くの小屋に移った。そこはおばさんの仕事場で、二十センチぐらいの大きさで、テープ状に束ねられたココナツの葉に小型ナイフで切れ目を入れ、即座に目の前でパンダナを作って、私の頭にかぶせてくれた。
最初、どういう仕事をしているのか私にはわからなかったが、時どきノートの走り書きを照合していることからすると、園内の土産もの屋で売られている編みかごなどの民芸品を作っているようだった。
おばさんは自分で作っているから自由にあげたりできるのだが、そんなに気前よく誰にでも与えないと思うと、申し訳ないと思った。
彼女と話している時に、二十代の日本人女性二人がちゃらちゃらしながらやって来た。仲良しの二人はおばさんと一緒に写真を撮ってほしいと、私に頼んだ。
彼女たちのひとりは私の頭のパンダナを察して、どこで買ったのかと、私に尋ねた。私が躊躇していると、おばさんは二人にも私と同じ物を作ってあげた。それをかぶった彼女たちは、顔面に笑みを浮かべて陽気にはしゃぎながら、その場から立ち去って行った。
午後3時ごろから、前の特設ステージで、マルケサスとタヒチの踊りが披露された。その演じている人の冠も彼女が作ったと、私に言った。
ここの施設はモルモン教の運営で、踊っている人たちは施設近くの大学に通う学生たちだそうだ。
踊りが終わるころには、雨脚が強くなってきた。帰ろうとすると、彼女は合羽を持って行くように勧めたが、私は辞退し、握手をして別れた。
2日後に行われたホノルルマラソンは、土砂降りの雨の中を走り、最悪であったが、ハワイに知り合いが出来たのが嬉しかった。
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