サンアグスティン遺跡での落馬
■コロンビアのサンアグスティン遺跡を訪ねるツアーで初めて馬に乗ったが、急に走り出して落馬し、九死に一生を得た。

 1999年1月4日、コロンビアのサンアグスティン遺跡を、馬に乗って訪ねるツアーに参加した。2日前に申し込んだ時には私だけであったが、ようやく人数が集まって実施された。
 この遺跡はコロンビア先史文化の紀元1年から5世紀のもので、首都ボゴタの南西五百キロ、アンデス山脈の標高千八百メートルの密林のなかに,三百体以上の石像が広く点在している。
 その日までに私は、村の遺跡公園や近郊遺跡へのジープツアーで何カ所かの石像を見ていた。どこの遺跡も墳墓の前に二メートルぐらいの彫刻された石像が立っていた。
 18世紀半ば、スペイン人宣教師によって発見されてから知られるようになったが、その石像は何を意味するのか不明である。5年前にかつて訪れたチリのイースター島のモアイ像とともに、謎につつまれている。
 午前8時ごろに、村の外れの集合場所に行く。アメリカ人の女性、4人のコロンビア人と一緒で、3人のコロンビア人は仲間同士、アメリカ人はカップルであった。私は馬に乗るのは初めてで、出発する前に基本的な手綱さばきを教えてくれ、意外と簡単に操れた。私にはおとなしい馬をあてがったとガイドが言った。
 ツアー代金はガイド料とガイドの馬代を参加人数で負担するようになっていた。私は自分の馬代とその負担分で千三百円を支払った。アメリカでは乗馬はお金がかかると、アメリカ人の女性は私に言った。
 ガイドを先頭にジャングルのなかに分け入っていった。鞍の出っ張り部分にお尻の尾てい骨が時どき当たって痛かったので、腰を浮かして乗っていたが、気分は西部劇のカウボーイになりきっていた。
 コロンビアでは子供のころから馬に乗っているようで、コロンビア人は自由自在に手綱をさばいていた。エルタブロン、ラチャキーラ、ラペロータ、エルプルタルの遺跡を、順番に巡っていった。最後の遺跡を見終わって、村に戻るころには、私もだいぶ馬に慣れていた。
 正午を過ぎたころだった。坂道にさしかかり、先頭の馬が走り出すと、突然に私の馬も走りだし、私は転げ落ちた。私はどのような状態で落馬したのか記憶になく、脳震盪を起こし、仰向けで倒れたらしい。
 気がつくとツアーで一緒のコロンビア人が胸に聴診器を当て、血圧を計ってくれていた。その後、私の頭部は彼の膝の上に乗せられ、血だらけの顔面を消毒液で洗浄した。ズボンはズタズタに引き裂かれ、顔面右半分の傷は鐙で擦られたような形跡であった。
 人里離れた場所であったが、医師が身近にいて応急処置をしてくれて、私は命拾いをした。打ち所が悪かったり、馬に踏まれていればあの世に行っていたと思うと、ぞっとした。
 ポゴタの町を歩いていると、喧嘩で殴られたような顔面を、皆がジロジロと見たので、仕方なく私は安いサングラスを買って、顔を隠していた。
 帰国後、友達の整形外科で首のレントゲンを取ってもらったが異状はなく、ほっとした。しかし、むち打ち症のような感じで、首の動きに不自由している。
 乗馬経験のある人に落馬の話をすると、馬には帰巣性があると説明してくれた。ねぐらに近づいて、餌にありつけると察すると、馬は走り出すそうだ。
 今回は強盗の被害に遭わないようにしていたら、落馬事故に遭った。海外旅行をしていると、何が起きるかわからない。
 昨年11月に私はパソコンを購入した。私の怪我は大丈夫だと、コロンビアの医師に電子メールで知らせた。
 人助けを天命の医師の職務は素晴らしいと思う。今さらながら、今度の事故は命の大切さを私に教えてくれ、自分から命を落としては亡き両親に申し訳ないと思った。

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