「中米のスイス」コスタリカ
■「中米のスイス」と例えられるコスタリカは風光明美で、ヨーロッパ的な町並みは心をなごませてくれた。

 1995年8月16日午後5時ごろ、コスタリカの首都サンホセに着いた。
 コスタリカは「中米のスイス」に例えられ、風光明美で、軍隊を保持しない永世中立国として知られている。
 中南米で美人の多い国を3Cと言うが、コスタリカ、コロンビア、チリのアルファベットの頭文字を示している。かつてチリを旅行した時には、多くの美人を見かけた。コスタリカではそのことにも興味があった。
 旅装を解いて、レストランを探した。中米を訪ねて来たが、どこの町にも中華レストランが目についた。そのとある一軒の店に入った。
 店は営業したばかりで、楽しそうに談笑する親子連れ以外には客がいなかった。私は久しぶりに耳にする日本語に、懐かしさが込み上げてきて、話しかけた。
 3年前まで4年間、日本人学校の教師として赴任していた、岐阜県出身の藤井さんだった。アメリカに来たついでにコスタリカの教え子を訪ね、明日は帰国するので、家族水入らずの会食をしていたようだ。
 私は、治安やこの国の現状について尋ねた。ニカラグァの難民が増えて、3年前よりも町の雰囲気が悪化していると、嘆いていた。私は中南米で一番治安がよい国だと聞かされていたが、それは過去の話であった。
 別れぎわに、もしもの場合にと、現地の日本人の電話番号を教えてくれた。夜のひとり歩きは危険だと言われ、藤井さんと一緒のタクシーに乗せていただいた。
 翌日、カリブ海に面した港町プエルトリモンに出かけた。コーヒーやバナナのプランテーションの中を乗り合いバスはひた走り、3時間ほどかかった。サンホセのしのぎやすい気候と比べると、蒸し暑くて閉口する。 市場の大衆食堂で魚介類の入ったスープを注文した。市場の中で黒人を見かけた。白人が98パーセントを占めるこの国で、黒人を見かけるのは珍しい。ジャマイカから奴隷として連れてこられて、そのまま住みついたということだ。
 リモンへのバスの中で隣り合わせになったフランス語を教える青年は、果物の話を一生懸命してくれた。お酒を飲まない私は果物には目がない。市場の片隅にある果物店で足が止まった。
 青年から聞いた果物の名前をひとつずつ私が読みあげると、店主は果物の小片をくれた。ラグビーボールの形をした西瓜は、甘味があった。ピンポン玉ぐらいの大きさにいぼがある、真紅のレイシも、しゅんであった。
 私は店主を市場の入り口の喫茶店に誘い、コーヒーを飲む。グアテマラで飲んだコーヒーも格別であったが、この国のも香りがあり、そん色なかった。日本への輸出品目では一番を占める。
 店主は町のガイドを買ってでて、桟橋に案内した。積み出し荷物を満載した貨物船が停泊していた。隣接の公園にはヤシが茂り、紺碧のカリブ海にまばゆいばかりの陽光が照りつけ、いやが上にも旅情をかき立てる。少女がひとり、堤防に腰かけて遠くを眺めていた。
 岸壁に突き出た公園の一角で、沖合に浮かぶウピタ島を背景に、店主と写真に納まる。1502年、コロンブスの第4回の航海で発見された記念すべき島である。
 バスの出発時間が近づいたので、市場に戻り、果物を買って、サンホセへ戻った。ちっよとした切っかけで知り合いになった店主だったが、今回の旅行の楽しい思い出になった。
 また行く機会があったら、ヤシの木陰の海辺で、カリブ海を横目に一日中たたずんでいたいと思う。
 コスタリカとは「富める海岸」を意味するするために、観光資源に恵まれている。私が訪れた時は、時おり大雨に見舞われ、12月から5月までの乾期が旅行のベストシーズンのようだ。

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